突然頭上に架線が 晩夏鉄道旅顛末記31【50代から始めた鉄道趣味】177
※2005年1月撮影
トップ画像は2005年(平成17年)たぶん初めて能代に来た時の能代駅。岩館行各駅停車。キハ40系ですが詳しくは分かりません。
2009年(平成21年)9月の能代駅。その9年後、2018年(平成30年)で閉鎖された「びゅうプラザ」。
※2009年9月撮影
こちらも「びゅうプラザ」があった2014年(平成26年)7月の能代駅正面。「木都能代へようこそ」という看板があります。
※2014年7月撮影
能代には友人がいるので何度か来て一緒に飲んでいます・というか友人は一滴もアルコールを飲まずに(珈琲を飲みながら)ひたすらカラオケを歌うという奇癖があるので、筆者はだいたい彼のおごりで飲みながら延々と歌を聴いています。幸い歌が上手いので苦痛ではありません。
そんな関係で最初に能代に来た2005年から何度か来ていますが、とにかく古くから栄えた大きな町だということと商店街が「完璧なシャッター通り」になっていて驚いたことです。20軒に1店舗がどうにか商売を続けているという印象でした。
しかし開いている店舗は、仏壇・仏具店とか家具屋さん(高齢者のほぼ全員が押して歩いている乳母車の様なものを店頭に並べている)くらいです。写真がお婆ちゃんたちが必ず押している「シルバー用乳母車」です。疲れると「座れる」タイプもありました。
※2005年1月撮影
住民である友人曰く「自動車のある人は何でも揃っている郊外の巨大ショッピングモールに行ってしまう。旧商店街の中心にある大型スーパーも撤退という話で、交通弱者のお年寄りはマジで買物難民になっちゃうよ。定期バスもほとんど機能していないからね」。おそらく全国的に起こっている現象かもしれません。最近では、彼が連れて行ってくれた飲み屋街からも灯が消えていました。
話を鉄道旅に戻します。
東能代行は2番線に停まっています。1番線側に駅舎と改札口があります。ホームに設置されたバスケットボールのゴールはもう少し右側だったかな。
駅名標。元3番線側は柵があります。背後には多くの側線。能代駅は1908年(明治41年)に帝国鉄道庁が山本郡能代港町に設置した貨物駅でした。駅名は能代町駅。開業から数ヶ月後には旅客営業も始めました。1909年(明治42年)能代駅に改称。かつてはみどりの窓口もありました。既述の様に2018年(平成30年)もびゅうプラザが閉鎖となり五能線にはびゅうプラザ営業駅がなくなりました。
東能代方面から交換列車が来ました。たぶん能代までの運転です。幹線である奥羽本線東能代駅から能代市の中心である能代駅を往復する列車が設定されています。東能代駅から能代駅までは日に9本。岩館駅行が3本、深浦駅行3本、弘前駅行2本という按配で能代駅までは日に17本が運行されています。
信号が青に変わって出発します。
東側の側線から延びてきた線路のポイントがあります。右は1番線に行く岩館・弘前方面。
能代駅を出ると沿線には住宅が続きますが、この辺りは右側に耕地が広がっています。耕地の辺り、地名が字下悪戸、字中悪戸というちょっと奇妙なものです。
左カーブで突然頭上に架線が現れました。もうすぐ電化されている奥羽本線と合流するのでしょう。
ではようやく終点の東能代に到着します。
晩夏鉄道旅顛末記32【50代から始めた鉄道趣味】178に続きます。
(写真・記事/住田至朗)