トップ画像は、磐城石川駅正面。1960年(昭和35年)駅舎焼失によって再建された昭和モダンな鉄筋の建築。

水郡線は八溝山地と阿武隈高地の山間を通っていますが、山間部の谷を縫うように走るので曲線が多いのですが、意外にトンネルはありません。大内山トンネルです。

程なく線路が複線になって駅です。

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野木沢駅から4.8kmで磐城石川駅。上りホーム、左側単式の1番線に入ります。

島式ホームには2番線と3番線。2番線側のレールは錆びています。下り列車は主に右端の3番線発着なのです。交換列車を待っている人たちも3番線側を向いています。

駅舎正面。前面展望の2019年8月25日はよく晴れていました。

駅舎内部。2018年(平成30年)にJR東日本直営が終了。磐城石川駅長も廃止されました。JR東日本ステーションサービスが業務委託されています。指定席券売機、自動券売機が設置されています。ホーム出入口。

広い待合室があります。レンタカー二日目は、磐城棚倉の旅館を朝一に出発。中豊駅からスタートして、ここが5駅目です。ちょっと休憩していこうかしら、と思いました。

構内踏切で島式ホームに渡って、そのスロープから。奥が水戸駅方面になります。

島式下りホームから上り1番ホームと駅舎を見ています。駅名標”なめ”です。

上りホームの駅名標。磐城石川駅は1934年(昭和9年)磐城棚倉駅と川東駅間が開通して水郡線全通のタイミングで設置されました。

何と戦時中、石川町は原子爆弾の原料となるウラン鉱石の採石地でした。石川中学校(旧制)の生徒を動員して掘ったのですが、敗戦後GHQに回収されたそうです。また石川町はシリコンの原料となる石英が多く採れました。この運搬に磐城石川駅構内に貨物線があったのでしょうか。

ホーム上に「名産石川石」が置かれていました。石川石(いしかわせき)というのは1922年(大正11年)に発見され独立種として承認された日本の新鉱物としては最古のものだそうです。と書いていても筆者には鉱物はよく分かりません。ウランと鉄などを含む酸化鉱物とのことです。

これが磐城石川駅構内に残る側線です。

流石に石川町の中心になる駅なのでJR東日本によれば2018年(平成30年)の平均乗車人員は518人/日(降車客を含まず)。前面展望を撮っていた日も乗客の乗り降りが他の駅に比べて多かったと思いました。

水郡線全駅11【50代から始めた鉄道趣味】200 に続きます。って【50代から始めた鉄道趣味】も200回です。いつも読んでいただきありがとうございます。

追記:

このコラムは2019年10月に書いています。10月12日〜13日に関東から東北に上陸した大型台風19号の被害で水郡線は、郡山駅〜常陸大宮駅間の運転を見合わせています。2019年10月19日にJR東日本は、安積永盛駅〜常陸大子駅間と西金駅〜常陸大宮駅間の運転を再開すると発表しました。西金駅〜常陸大子駅間の被害は橋梁破損など甚大なため運転再開の目処はたっていないとのことです。

被害を受けたJR東日本と水郡線沿線の皆様にお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復旧をお祈り申し上げます。水郡線復旧の情報が発表されましたらコラム内でも速やかにお伝えいたします。2019/10/20記

(写真・記事/住田至朗)