東京の西、拝島と武蔵五日市を結び、東京駅との直通列車も走るJR五日市線。

起点は八高線・青梅線・西武線が接続する拝島駅、終点は武蔵五日市駅。

この終点 武蔵五日市から先に、線路が伸びていて、旅客列車や貨物列車が行き来していた時代があった。

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それが、五日市線 岩井支線。どんな風景だったの?って人は、「五日市線 岩井支線」で画像検索すれば、モノクロ写真でいろいろ出てくるからチェックしてみて。

岩井支線の線路は、武蔵五日市駅からさらに先へ伸びてたわけじゃなくて、武蔵五日市駅のちょい東側(手前)で北へと分岐して、秋川街道沿いを北上するイメージ。

だから武蔵岩井駅を出た電車は、五日市線本線に合流したあと、いったん方向を逆転し(スイッチバックし)、武蔵五日市駅へ進入。また方向を逆転させて、拝島方面へむかった。2度もスイッチバックするシーンがあった。

で、どこまで線路が伸びていたかというと、現在の太平洋セメント日の出工場(太平洋プレコン工業 日の出工場)付近まで。

歩いてみると、岩井支線の跡が……

当時の五日市鉄道(通称 ゴテツ)が敷いた岩井支線の跡は、いまもところどころにある。武蔵五日市駅を出て大通り(秋川街道)を左へと歩いていくと、現在の五日市線のコンクリート高架線をくぐって坂道になる。この坂道の右側に線路が敷かれていた跡地がある。

高架をくぐって10分(900m)ほど秋川街道の坂道を歩くと、右手に日の出町立大久野中学校がみえてくる。この学校のむかい側にある松華飯店付近に、唯一の途中駅、大久野駅があった。

かつての大久野駅から武蔵五日市駅までも歩ける!

この大久野駅付近から、岩井支線の線路は秋川街道からそれて、太平洋セメント日の出工場へとむかう。2011年当時はこの廃線跡も歩けた。

ここをED16形電気機関車が貨物列車を引いて行く姿を想いながら、けっこうな急勾配が続くセメント工場まで歩く。

平井川に架かる岩井橋がみえてくると、太平洋セメント日の出工場。ここに、岩井駅の跡があった。

現時点のGoogleストリートビュー(2014年5月撮影)には、まだ岩井駅跡が映っている。従業員駐車場の脇にぽつんと残る、プラットホームと上屋の跡。コンクリートでできた車止めらしき物体も……。

―――歩いたり食べたりが楽しい秋、五日市線に存在した岩井支線の跡をたどる時間。試してみて。

写真 記事:鉄道チャンネル編集部