座間駅を出ると右にカーブしながら勾配を下って行きます。正面の盛り上がった丘は「富士山(ふじやま)公園」米軍座間キャンプの南隣。相模川の河岸段丘に古くから自生する樹木が残っています。浅間坂があって、かつては頂上に浅間神社があったらしいので富士山信仰の跡でしょう。筆者の実家近くにも頂上に木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)を祀る浅間山があります。

宅地化されていますが樹木も多く残っています。右は明王第1公園。

相武台前駅で折返し運転が行われるので渡り線があります。

ADVERTISEMENT

座間駅から2.3kmで相武台前駅。島式ホーム2面4線です。

この駅も朝のラッシュアワーの様ですが、緩行線の4番線側に並んでいます。筆者の乗っているのは各駅停車なので4番線に入ります。信号機も黄色、3番線は赤です。

ここからは、厚木までで撮影が夕暮れで終わってしまったので別の日に改めて撮影に来た写真です。上りホーム、小田原側を見ています。

同じく新宿方面。跨線橋に橋上駅舎があります。

駅名標。小田急の計画では現在の駅がある位置よりも1km程度東側に駅を設置する予定でしたが、周辺住民からの要望と駅敷地や鉄道用地の寄付などもあったため現在の場所に決まったのでした。海老名駅までのルートも現在よりも東寄り座間市役所の辺りを通る予定にしたところ集落の住民から反対運動が起こった結果、現在の西側を大回りするルートになった様です。

1927年(昭和2年)頃のこの辺りにはサラリーマンなど住んでいません、ほとんどが農業従事者でしょう。電車で移動する日常が彼等には不要だったのです。また江ノ島線もこの駅から分岐する計画もあった様ですが、当時から既に開かれた耕地が多く、ほとんどが山林だった現在の相模大野駅から分岐するルートに変更されました。

1927年(昭和2年)初代の座間駅として開業。駅所在地が高座郡座間村だったのです。旧帝国陸軍の士官学校がおかれたことで、士官学校視察に訪れる皇族のために駅舎には貴賓室が作られていました。1937年(昭和12年)士官学校前駅に改称。1941年(昭和16年)戦時体制で軍施設を敵に知らせない様に、昭和天皇が名付けた相武台という地名を使い相武台前駅に改称。小田原線開通時に相武台工場が設置され電気機関車などの検査などが行われていましたが、車両数が増えて工場が手狭になったため、1962年(昭和37年)大野工場(現在の大野総合車両所)が開設され相武台工場は廃止されました。駅の東側に広大な電車留置線があるのは工場の跡地です。

1970年(昭和45年)橋上駅舎化されました。1972年(昭和47年)南口が開設。2001年(平成13年)エレベーターが設置されました。駅とつながっている北口の小田急マルシェが建て替えられリニューアルオープン。

橋上駅舎の改札口。

南北自由通路になっています。改札口の横にセブンイレブン。

北口に降りて行くエスカレーターに乗っています。エスカレーターは小田急マルシェの設備。

右の橋上駅舎と左の小田急マルシェ。

小田原側の踏切を渡ります。

1972年(昭和47年)に作られた南口。

南口から跨線橋に上り、旧相武台工場跡の電車留置線を見下ろします。広いなぁ。

電車留置線が空っぽなのはもったいない気がします。レールが錆びていなかったので使われている様ですが。

【駅ぶら01】小田急線75 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)