戦後にひらかれた町です【駅ぶら02】相模鉄道16

2020.02.12

トップ画像はJR東日本E233系電車。朝、横浜駅から乗って来たのは各駅停車湘南台行でした。二俣川駅からは各駅停車海老名行に乗り換えて前面展望を撮ります。何とJR東日本E233系電車で海老名駅に向かう事になりました。

横浜駅から乗って来た各駅停車湘南台行が先に出発しました。

保線員さんがシーサス・クロッシングの相鉄本線側で何か作業しています。

信号が青に換わって出発です。JR東日本E233系電車の前面ガラスは紫外線を吸収する着色ガラスの様で、写真の色が少し変わって暗くなります。特に上部は着色が濃くなっています。

いずみ野線から上り列車が来ました。本線は左側、勾配標がL=水平と表示されています。いずみ野線は上り35パーミルとなかなかキツい上りです。

これがJR東日本E233系電車運転室。黄色い四角の中が前面展望撮影エリアです。意外に狭いのであります。そして右カーブの時、斜めになっている窓枠が写ってしまうのです。

住宅街を進んで行きます。

何故かノイズっぽい白いラインが下部に入っていますね。前面ガラスの汚れかな。あるいは手前下部のガラス板の反射かな。

右にカーブします。やはりノイズが出ていますね。う~ん、現場では気が付かなかった。

カーブの先に駅です。線路脇で建築工事をやっている関係で保線員さん風の方が立っているのでしょうか。右下に車両の窓枠がちょっと写ってしまいました。

二俣川駅から1.7kmで希望ヶ丘駅。手前に橋上駅舎があります。

ここからは、海老名駅からひと駅毎に降りて撮影しながら横浜に向かったカット。上りホーム、海老名駅方面を見ています。壁面は2014年(平成26年)まで白とピンクでしたが現在の黒っぽい色に塗り替えられました。2015年(平成27年)に始まった相鉄デザインブランドアッププロジェクト以前に塗り替えられたのに黒っぽいのは不思議。個人的には暗いイメージになるので駅舎やホーム壁面は明るいカラーの方が好きです。

同じ場所から横浜駅方面。

駅名標。1948年(昭和23年)開業。戦後相模鉄道が住宅開発を行ったエリアです。一般公募で「希望ヶ丘」という名称がつけられました。しかし、駅名は「希望ヶ丘」と「ヶ」が漢字ですが、住所表記(地名)は「希望が丘」とひらがな表記なのです。駅所在地も横浜市旭区希望が丘になっています。地図で見ても「横浜市立希望ヶ丘小学校」「神奈川県立希望ヶ丘高校」と「横浜市立希望が丘中学校」「横浜南希望が丘郵便局」が混在しているのです。

1958年(昭和33年)複線化されます。1965年(昭和40年)年末に北口駅舎が完成、営業開始。

翌1966年(昭和41年)南口駅舎も改築されました。しかし2000年(平成12年)現在の橋上駅舎になって、旧駅舎はなくなっていますが横浜寄りに公道に繋がるバリアフリーのスロープは残されていて駅員さんに許可をもらえば使える様です。

では、次回は橋上駅舎から駅の外にでてみます。【駅ぶら02】相模鉄道17 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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