瀬谷駅周辺開発は1994年以降に開始【駅ぶら02】相模鉄道19

2020.02.15

三ツ境駅を出ました。正面に丹沢の山々が見えます。この日は冠雪していませんが、別のカットでは山には雪がありますよ。

相鉄本線の最高地点、三ツ境駅を過ぎて少し相模原っぽい空気になってきました。たぶんこの辺りにかつては二ツ橋駅があったと思われます。1926年(昭和元年)神中鉄道が二俣川駅~厚木駅開通時に設置されました。終戦前に休止され、そのまま1960年(昭和35年)に廃止されました。戦前はこの辺りが行政の中心地だったのです。

カーブの先に駅が見えました。

三ツ境駅から1.9kmで瀬谷駅です。

島式ホーム2面4線。上り線に保線員さんがいます。大きな跨線橋(南北自由通路)と橋上駅舎があります。

ここからは、海老名駅まで前面展望を撮った後、一駅ずつ下車して【駅ぶら】しながら横浜駅方面に戻っているカットになります。上りホーム海老名駅方面。

同じく横浜駅方面。相鉄12000系電車が通過してゆきました。

駅名標。1926年(昭和元年)神中鉄道の駅として開業しました。2012年(平成24年)までは単式ホーム1面と島式ホーム1面2線で3番線は貨物列車が運行されていた時代の待避線。2012年(平成24年)4月、現在の島式ホーム2面4線に改修されました。

橋上駅舎に上がって改札口です。

南北自由通路に出ました。左が改札口。売店の「STATION IST」とパン屋さん「Vie de France」があります。奥が北口になります。

実手前の南側に出ました。戦後頃まではほとんど商店はなく、この南側には、貸し自転車屋、風呂桶屋があった程度だったそうです。金融機関は農協と郵便局だけ。

実家の武蔵小金井から三浦半島の家まで自動車で移動する時、瀬谷駅の西側の環状4号線を通ります。環状4号の北側は通称海軍道路、その周囲には広大な元米軍上瀬谷通信施設跡があります。横浜市の瀬谷地区市街地造成に対して1950年代末に米軍が広範囲の電波規制、建設規制を行ったことで瀬谷エリアの開発が遅れることになりました。

開発が始まったのは東西冷戦終結後の1994年(平成6年)に電波規制が解除されてからです。瀬谷駅北口は、ほとんど店舗もなかったので開発は順調で4棟のマンションを始めスーパーマーケットなども次々に進出しました。

一方の南口は地権者などの合意が揃わず、そのため開発が遅れました。未だに空き地や駐車場が目立ちます。今後は、住宅・商業施設・公益施設などの入る複合再開発ビルが建設され、これに合わせ駅前広場も整備される計画です。写真は南口、駅前。これからですね。

自由通路で北口に出ました。確かに南側に比べて町並みが整っています。

駅舎と北口。

少し離れると右側のイトーヨーカドーが見えます。

橋上駅舎に上がって次の駅を目指します。改札の正面、構内にファミリーマートがあります。

鶴ヶ峰駅で撮影した架線検査用700系モヤ700形。実は瀬谷駅でも見ました。時間的には、13時半頃、こちらの方が先です。鶴ヶ峰駅で見たのは15時頃です。この間、架線検査をしながら湘南台駅の方を回ってきたのかな。

相模鉄道では将来的に瀬谷駅の地下化を考えているそうです。前面展望が撮れなくなっちゃいますね。そーいう問題ではないでしょうが。

では、【駅ぶら02】相模鉄道20 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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