トップ画像は、新馬場駅ホームから撮った都営浅草線からの快特羽田空港行。

北品川駅から旧東海道を歩いて北馬場参道通りにあたって右に曲がって第一京浜まで来ました。北品川三丁目交差点です。左上は京急線の高架。新馬場駅がすぐ先に見えています。

第一京浜を渡った正面は品川神社です。源頼朝が文治3年(1187年)安房の州崎神社の天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)を勧進して祀ったのが始まり。徳川家康が関ヶ原の戦いの戦勝祈願をして祈願成就でその後徳川将軍家の特別な庇護を受けました。

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品川神社の鳥居の前から振り返ると京急の高架線を京成3100形電車「エアポート快特」が通過していました。

階段の下に石の双龍鳥居があって、左が昇り龍、右が降り龍が彫られています。たいした階段ではないように見えますが、筆者は平らなトコロはいくら歩いても大丈夫なのですが階段、特に上りの時に右膝が痛くて呻吟してしまうのです。もう少し暖かくなって膝の痛みが薄れたら再訪いたしましょう。

富士山信仰の浅間神社もあって、15mの富士塚頂上からは京急線が見下ろせるらしいので膝さえ痛くなかったら登りたいのですが。

東海七福神の大黒天像があります。旧東海道で通ってきた一心寺には寿老人、養願寺には布袋尊があった様ですが探し方が悪いのか(信仰心が足りない?)見つけられませんでした・・・。

さて。ここから北品川駅から新馬場駅に向かいます。高架を右にカーブしながら上ってゆきます。

各駅の【駅ぶら】はいったん浦賀駅まで前面展望を撮った後、一駅ずつ品川方面に戻りながら撮影しているので上りホームにいます。これは浦賀駅側。

こちらが品川駅側。

駅名標。1904年(明治37年)京浜電気鉄道品川駅(現・北品川駅)~八幡駅(現・大森海岸駅)開通時に「北馬場」駅と「南馬場」駅が開業。戦時下で北馬場駅の休止・廃止を挟んで戦後には復活。1975年(昭和50年)北品川駅~青物横丁駅間の下り線が先に高架化され下り線の駅のみが統合されホームの駅名標は「北馬場・南馬場」駅になりました。翌1976年(昭和51年)上り線も高架化され改めて「新馬場」駅になりました。2014年(平成26年)副駅名に寺田倉庫が追加されています。

困った事に元・南馬場駅のあった南口に行っていないのです。これは、まだ京急線の撮影が完了していないのでまた再訪して撮影してアップします。暫時お待ちください。

こちらは北口改札。頭上に「北口」と大きくあるのですから当然「南口」もあると思わない筆者がマヌケなのです。

高架下の北口。横に京急のビジネスホテルがあります。

南口を再撮影してきたら追加でアップします。

※南口に行ってきました。この後追補としてコラムをアップします。

では【駅ぶら03】京浜急行08 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)