困った時の古い写真。これは2017年(平成29年)5月に京急電鉄久里浜工場で行われた「京急ファミリーフェスタ」に取材に行った時に撮った京急初代1000形電車。製造期間は1959-1978年。)使用期間が長く1960-2011年と50年近くにわたって京急の顔とも言える車両でした。現在は京急電鉄久里浜工場に2両が保存されています。

高島山公園からの眺望は明らかに高島嘉右衛門が望欣台から眺めたであろう景色ではありません。右の本覚寺の上の丘に現在の様な住宅が密集していなくても横浜駅方面は見えないのです。

さらに西の方は眺望が広がりますが横浜駅とは正反対の方向になってしまいます。

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本覚寺から見上げた墓地の上辺りに青山城跡があると踏んでそちらに向かいました。これはそちら側から見た高島山公園。

ところが個人住宅が建て込んでいて、そもそも眺望できる場所が無いのです。

辛うじてシェアハウスの庭先から本覚寺の墓地方向を見下ろすことができましたが、ちょっと違う様な気がします。

青木城跡を探して住宅街をウロウロしていたらロータス・エキシージのシリーズ3が駐めてありました。

ここからは余談ですが、筆者は自動車も好きです。というかカーグラフィック(CG)という月刊誌の編集長だった故小林彰太郎さんのファンで、学生時代から小林さんが亡くなるまでCG誌を定期購読していました。それで学生時代に親に買ってもらったクルマはVW GOLF1でしたし、小林さんの影響で就職してからはAlfasud Ti 1.5 QVに乗っていました。1970年代から2010年頃までのクルマに詳しいのはその為です。引っ越しの度に腰がおかしくなるほど重かったけど、35年分以上あったCG誌を処分した時は寂しかったな。

ロータス・エキシージ/シリーズ3は、トヨタのV6 2.5Lエンジンにスーパーチャージャー(350PS!)を組み合わせた「公道を走行できるレーシングカー」です。出自がロータス・エリーゼのワンメイクレース用で完全なレーシングカーのスポーツエリーゼ。これをクーペ化して公道用の法規に合わせたモデルです。シリーズ3はかなり文化的になったという噂ですが。(笑)

ロータスも1982年に創始者コーリン・チャップマンが亡くなって以来曲折を経てマレーシアのプロトンから今や中華人民共和国の𠮷利汽車が筆頭株主です。

しかし高島山で見かけたクルマは圧倒的にベンツが多数派でした。お金持ちが多いのかな。

古い集合住宅の庭先から本覚寺を見下ろせました。帰宅してから再度調べた結果、おそらくこの辺りが青山城跡の様です。看板も何も無いのであくまでも筆者の推定ですが。

しかし現場にいた時はそれが分かりませんから、たぶん青山城跡の立札くらいあるだろうと高島台を探し回りました。しかしここから西は下っていってしまいます。

流石に草臥(くたび)れて上台町公園で休憩。通りかかった住民の方に「青山城跡を御存知ですか?」と尋ねましたが「長いこと住んでいるが、聞いたことないね」というお返事でした。

流石に1時間近くウロウロしたので諦めて帰ることにしました。路傍に「高島先生顕彰碑」というのがあって日本易学協会と記されています。何と筆者の生まれた昭和31年の建立。

えっ? 高島嘉右衛門さんが易学者?

高島嘉右衛門さんは若い頃、外国人相手の商売で禁法に触れ5年間入獄していたことがあり、江戸を所払いになったため横浜に移ったのです。幼少時に学んだ易経に従って卦をたてたところ当たったので入獄中に易経を諳んじるほど読み耽りました。出獄後、悉く事業に成功したのは易断に従ったからだと言われています。隠棲後は易の研究を行い『高島易断』を著述しましたが、終生易を金銭に換える事は無かった様です。「占い」は「売らない」ということでした。

『高島易断』は占いを好まない筆者でも知っています。読んだことはありませんが。

しかし、神奈川駅の【駅ぶら】で高島嘉右衛門という人に出会わなかったら、これらのことはず~っと知らないままだったでしょう。不思議な縁です。

住宅地を彷徨(さまよ)っていたら三宝寺の上に出ました。

急坂をゆっくり下りて神奈川駅に戻ります。さ、次は横浜駅です。

【駅ぶら03】京浜急行47 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)