五十間鼻無縁仏堂【駅ぶら03】京浜急行120

2020.07.31

空港島の旧穴守稲荷神社門前赤鳥居を後回しにして弁天橋を渡りました。西に歩いてすぐに左手に典型的な流造の「小屋」がありました。換気扇が付いているけど、立ち飲み屋にしても小さ過ぎるなぁ、と道を渡って見に行きます。

何とも不思議な祠でした。鈴が付いています。地図で「妙力地蔵尊」と分かりましたが、ネットなどで調べても縁起などは不明です。扉が施錠されていて中もよく見えません。建物は明らかに新しいのです。地蔵様は仏ですが、日本では民間信仰で道祖神と習合(混淆)され、村の境界などに多く祀られています。神社様式の祠に地蔵尊という不可思議な仕儀となるわけです。鈴が付いているのもヘンです。

「妙力地蔵尊」の先に白魚稲荷神社があります。白魚は羽田の漁業が盛んだった頃、多摩川河口域で捕れる名産でした。正に地元漁民の信仰した稲荷神社らしい名前です。

創設は不明ですが羽田漁師町が成立した江戸時代の正保(1645-1648)から元禄(1688-1704)にかけて祀られたものと思われます。

火伏の神徳があり空襲で羽田一帯が被災した際も旧社殿は無事でした。しかし旧社殿は老朽化により1967年(昭和42年)現在の社殿に建て替えられました。久しぶりに多くの千社札を見た様な気がします。

社殿脇の石碑によれば、明治40年(1907年)安田道三郎という人が境内の土地4畝(せ)歩を奉納したと書かれています。120坪ほどの広さです。周囲は低層の住宅が並びかつての漁師町の雰囲気が残っていました。

弁天橋に戻って、五十間鼻無縁仏堂に向かいます。

無縁仏堂の下、右の多摩川と左の海老取川の合流地点上流側に五十間(約90m)石を敷き詰めた護岸のための沈床があります。これが五十間鼻です。少し陽が射してきました。嬉しいな。

東京湾まで2kmの多摩川河口です。潮の干満の影響を受ける汽水域。訪問時は干潮時で干潟が現れ多くの水鳥がいました。空が晴れていると綺麗な風景なのですが・・・。対岸は川崎市、川崎大師があります。

五十間鼻無縁仏堂、少しずつ潮が満ちてきた様です。

桟橋を渡って無縁仏堂に行きます。法務省のホームページに無縁仏堂のことが出ています。現在なくなっている説明板の内容があったので写します。

五十間鼻無縁仏堂の由来

創建年代は、不明でありますが、多摩川、又、関東大震災、先の第二次世界大戦の、昭和二十年三月十日の東京大空襲の折には、かなりの数の水難者が漂着致しました。その方々を、お祀りしていると言われております。

元は、多摩川河口寄りの川の中に、角塔婆が一本立っているだけで有りましたが 初代 漁業組合長故伊東久義氏が管理し毎年お盆には、盆棚を作り、有縁無縁の御霊供養をしていました。

昭和五十三年護岸工事に伴い、現在地に移転しました。その後荒廃著しく、仲七町会小峰守之氏、故伊東米次郎氏、大東町会故伊東秀雄氏が、私財を持ち寄り復興致しました。

又、平成十六年に、村石工業、北浦工業、羽田葬祭スミヤ、中山美装、中山機設、の協力により新たに、ブロック塀、角塔婆、桟橋、などを修理、増設、現在に至ります。

又、新年の水難祈願として、初日の出と共に、羽田本町日蓮宗長照寺住職並びに信者の方々が、水難者への供養を、毎年行っています。

合掌 堂守謹書

右側にお地蔵さんが祀られています。

左には卒塔婆。「多摩川五十間端 水死横死之諸霊位施餓鬼」と書かれています。非業の死をとげた人々を鎮魂します。

無縁仏堂にお参りしました。

仏像は黒くて定かには見えません。

無縁仏堂から空港島の赤鳥居が見えます。

では弁天橋に戻って赤鳥居に行きます。【駅ぶら03】京浜急行121 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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