※2014年3月撮影

トップ画像は木古内駅。空腹を満たそうと乗継待時間に駅前をウロウロしましたが、開いている店舗が無かったのです。

さて江差線、吉堀駅から神明駅までは、13.2kmもあります。およそ人の住まない(住めない)様な深い山々の間を進み、稲穂峠を越えたのです。

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駅は1957年(昭和32年)開業。当初から無人駅でした。木製のホームに小さな待合室があります。航空写真で駅のあった辺りを見ても耕作地は少なく鬱蒼とした山々のただ中です。

※2014年3月撮影

木古内駅駅に掲出されていた北海道新聞の記事にも、住民が少なく、この駅を通過する列車もあること、むしろ人がいないから、と訪れる鉄道ファンの姿があったことが書かれていました。2010年の国勢調査では駅の周囲半径500mの円内には9世帯16人、同じく半径1kmの円内に13世帯24人が住んで居ます。

※2014年3月撮影

神明駅から2.8kmで湯ノ岱駅。1989年(平成元年)に改築された山小屋風の駅舎があり3人の駅員さんが配置されていました。廃止された区間で唯一列車交換の出来る駅です。筆者が乗った時は列車交換はありませんでした。

※2014年3月撮影

残念ながら木古内駅掲出の北海道新聞の記事「湯ノ岱駅」を撮っていませんでした。

湯ノ岱駅からまた山の中、7.1kmで宮越駅です。1964年(昭和39年)開業。ホームから少し離れたところに待合室がありました。周囲に人家は見当たりませんが、2010年の国勢調査データからは駅の周囲、半径500mの円内に13世帯31人が暮らしています。店舗は一軒も無い様です。

※2014年3月撮影

木古内駅に貼ってあった北海道新聞の記事に拠れば、湯ノ岱駅から宮越駅間の7.1kmが江差線で最も景色が良いと書かれていました。この日は見ることができませんでしたが、函館のグループが設置した「天の川駅」の駅名標が見たかった。もちろん江差線は停車しません。

※2014年3月撮影

宮越駅から2.2km、山間部から日本海側の平地に降りて来て民家も増えてきました。桂岡駅です。貨車改造の待合室がありました。1936年(昭和11年)江差線が全通した時に開業しています。1982年(昭和57年)無人化。1986年(昭和61年)旧駅舎は取り壊され貨車改造の駅舎になりました。

※2014年3月撮影

木古内駅の北海道新聞記事に拠れば、1955年(昭和30年)には桂岡駅から鉱石などの貨物約5万トンが運び出されていたのです。その鉱山も閉山され廃止前の駅に利用者はいなかったそうです。

※2014年3月撮影

唯一、中須田駅の写真を撮り損ねました。江差駅からの帰りはようやくありついた駅弁に夢中で気が付いた時には駅を通り過ぎていたのです。木古内駅に貼られた北海道新聞の記事も撮っていません。

桂岡駅から2.1kmで中須田駅、さらに3.2kmで上ノ国駅です。1936年(昭和11年)江差線全通時に開業。旧国鉄時代末期まで有人駅でした。1986年(昭和61年)無人化。1992年(平成4年)商工会議所、観光案内所の中に待合室を設ける形で駅舎が改築されました。駅名標の背後、住宅風の建物が駅舎、というか商工会議所。

※2014年3月撮影

木古内駅掲出の北海道新聞に拠ると、1961年(昭和36年)上ノ国駅の乗降客数は年間約31万5千人。廃止直前のほぼ100倍だといいます。1960年代に駅員を務めた方は「朝、3両編成が高校生で満員、ホームにあふれる人を列車に詰め込むのがタイヘンだった」と話されています。今は昔、です。

※2014年3月撮影

また、長くなってしまいました。続きは明日。

(写真・記事/住田至朗)