※2014年3月撮影

トップ画像は、釧網本線の車窓、初めて自分の眼でオホーツク海を見ました。流石に3月なので流氷はありませんが、海の青さが美しい。

網走駅で99分の乗継待時間後、13:25発知床斜里行が出発。

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藻琴駅です。

※2014年3月撮影

かつて、北海道独自の鉄道規格、殖民軌道というものがありました。未開地で自動車以前の時代、泥炭地などの泥濘は移動の障害でした。そこで道路の代替手段として作られたのが殖産軌道線でした。道路整備と同じ扱いで北海道庁による官制でした。初期の動力は住民が自分の馬を使ったといいます。しかし昭和初期にかけて総延長が600kmを越えます。途中から簡易軌道という呼び方になった様です。

流石に、輸送量も増え動力は、馬からディーゼル機関車などに替わります。しかし昭和も40年代に入るとモータリゼーションと道路整備が進み、1972年(昭和47年)に浜中町営軌道を最後に全廃されました。最初から最後まで鉄道としての法的整備は曖昧なままだった様です。

1935年(昭和10年)藻琴駅から旧東藻琴村まで北海道庁殖民軌道藻琴線が敷かれました。1961年(昭和36年)に廃止されるまで東藻琴村営軌道(北海道簡易軌道藻琴線)として運行されます。しかも東藻琴村は、村営軌道を地方鉄道に転換しようと免許まで取得していました。残念ながら地方鉄道とはならず廃止まで簡易軌道でしたが。

止別駅。隣は知床斜里駅です。この駅からも1930年(昭和5年)北見鉄道という鉄道が8.7km先の小清水まで開業しています。当初は殖民軌道を目指した様ですが、スタートから私鉄でした。1939年(昭和14年)わずか9年の運行で北見鉄道は廃止されました。

※2014年3月撮影

北海道には、有名な根室拓殖鉄道など、独自の鉄道会社があって殖民軌道を含め、記憶が風化するに任せず、キッチリした歴史・資料を残したいものです。

止別駅舎には「きっさ えきばしゃ」という看板がありました。その後ラーメンで人気が出た様です。

※2014年3月撮影

14:12、網走から47分で知床斜里駅に着きました。1925年(大正14年)国有鉄道の斜里駅として開業。1957年(昭和32年)根北線が開業。

※2014年3月撮影

根北線は、1937年(昭和12年)から工事が始まり戦時中の中断をはさみ20年かけて斜里駅(現・知床斜里)~越川駅間12.8kmが開通しました。しかし、1968年(昭和43年)国鉄の「赤字83路線」にあげられ、開通からわずか13年後の1970年(昭和45年)にはアッサリ廃止されました。未成区間が残されました。国道244号線から見える越川橋梁は戦時下で鉄筋を使わずに作られた全長147m、最大地上高21.6m、勾配25パーミルの10連コンクリート橋梁。徴用された労働者は11人以上が犠牲になり鉄筋代わりの竹材とともに橋梁に人柱として埋められたと言われています。

朝6:16発の上川駅から知床斜里着14:12まで、7時間58分、226.4kmを共にしたキハ40-733は、行先標を「知床斜里-網走」に換えて網走に戻ってゆきます。しかしヨク働くなぁ。

※2014年3月撮影

跨線橋に上ります。右の島式ホームと駅舎側に単式ホームがあります。正面には手前の海別岳と奥に1660mの羅臼岳が見えます。(山に全く詳しくないので地図を見て書いています 間違っていたらごめんなさい)

※2014年3月撮影

知床斜里駅舎。2007年(平成19年)町の観光センターとの複合駅舎に改築されました。

※2014年3月撮影

知床斜里観光案内センターと書かれています。「新しい駅舎に駅そば無し」という法則通り駅そばはありません。

※2014年3月撮影

駅前には、かなり大きなオジロワシ像が飾られています。

※2014年3月撮影

※オリジナルが縦なので写真を加工しています

寒いなぁ、と、ぼやきながら15:14発の釧路行まで1時間以上の待ち時間があります。今日も乗り継ぎ待ち時間が長いです。遠軽駅35分、北見駅35分、網走駅99分と知床斜里駅62分、既に4時間近い(231分)。やれやれ。

(写真・文/住田至朗)