2019年4月1日に、石勝線・夕張支線が廃止されてから丸1年が経過しました。多くの人が夕張を訪れ、さよなら列車を見送ったのも昔の話。街はひっそりと静まり返っています。現在の旧夕張支線を尋ねてみました。

※編集部注 本記事の取材は2020年4月、外出自粛前に行われたものです。

夕張支線の歴史

鉄道の歴史を伝える貴重な資料

夕張から採掘された石炭を輸送する路線として1892(明治25)年11月1日に北海道炭礦鉄道室蘭線の支線として追分~夕張が開業。1906(明治39)年10月1日に国有化され、国鉄・夕張線として官設化されました。

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1960年代までは石炭輸送が盛んに行われていましたが、エネルギー革命や炭鉱の事故により多くが閉山。1975(昭和50)年12月24日にD51241号が引率する国鉄現役最後の石炭列車が夕張を後にします。1981(昭和56)年10月1日の石勝線(南千歳:当時は千歳空港)~新得の開業により、同線の支線となりました。

超高齢化や人口減少が夕張の課題

廃坑、夕張市の財政破綻、人口減少などにより夕張支線の乗車率は年々低下。JR単独では維持困難な線区なため、2016(平成28)年8月に夕張市の鈴木直道市長(当時)がJR北海道本社で島田社長と会談し、夕張支線の廃止を正式に申し入れました。2019(平成31年)年3月31日に、さよなら列車を運行。6分遅れた19時34分に最終列車が夕張駅を後にしました。

「新夕張駅」から散策をスタート

ゆうばり鉄道廃線マップ

廃止から1年を経過した夕張支線散策は「新夕張駅」から開始します。かつては「紅葉山(もみじやま)」という駅名でしたが、石勝線開業に伴い現駅名に改称されました。まずは駅窓口で「ゆうばり鉄道廃線マップ」を入手しましょう。

石勝線開業に尽力を尽くした方々の「慰霊の碑」

石勝線工事で殉職された方々の慰霊碑

駅の左側には「慰霊の碑」が祭られています。石勝線は北海道の背骨と呼ばれる日高山脈をぶち抜くため、開業には多くの犠牲が伴いました。慰霊碑の裏には殉職された方々の名前が刻まれています。鉄道建設に尽力を尽くした方々に敬意を示して手を合わせました。

石炭と鉄道の歴史が展示されている「道の駅 夕張メロード」

ファンに嬉しいグッズがいっぱい

新夕張駅近くの「道の駅 夕張メロード」は、鉄道ファンには外せない施設です。数々の鉄道グッズを販売しているほか、夕張の鉄道にゆかりのあるさまざまな資料が展示されています。また基幹産業であった炭鉱の歴史や、活気づいていた当時の街並みを知ることもできます。(編集部注釈:ご指摘いただき誤字を修正いたしました)

もう一つの終着駅「楓駅」

在りし日の楓駅(1983年6月撮影)

かつて新夕張駅からもう一つ支線が出ていました。それは「登川支線」と呼ばれ、登川駅まで7.6㎞を往復していました。並行する石勝線開通や乗客減少に伴い1981(昭和56)年に廃止。途中駅だった楓駅が別の場所に移されて紅葉山~楓5.7㎞の営業を開始するものの、次第に本数は削減されて一日一往復するのみとなり、平成13(2001)年7月1日からは日曜運休となるなど秘境駅と呼ばれるようになりました。平成16(2004)年3月12日をもって信号場に格下げになっています。

※編集部注:2020年6月1日(月)写真を修正し、差し替えいたしました。

わずかな形跡から鉄道の香りを発見

夕張線時代の駅名標

夕張の鉄道の歴史は北海道石炭採掘の歴史です。新夕張駅周辺には、たくさんの鉄道の跡が残されていました。今も残る夕張支線の鉄路の跡をたどり、次の駅「沼ノ沢」に向かいました。

文/写真:吉田匡和

【廃止から1年 北海道・夕張支線の”いま”を訪ねて(2)】は2020年5月31日(日)10時頃公開予定です。(鉄道チャンネル編集部)

https://tetsudo-ch.com/10331177.html