増毛駅に到着します【50代から始めた鉄道趣味】318

2020.07.01

※2014年7月撮影

トップ画像は、留萌本線終点増毛駅ホームのキハ54-502。

礼受駅から1.3kmで阿分駅(61世帯155人)。駅名標の背後に、2015年(平成27年)に閉校となった旧増毛町立阿分小学校の校舎があります。130年以上続いた小学校です。

※2014年7月撮影

同じタイミングで増毛町立別苅小学校も閉校になっています。こちらも同様に長い歴史のある小学校でした。

既に書きましたが増毛町の人口は、半世紀ほどでピーク時の4分の1近くまで減少しています。わずか50年程で住民が4分の1に減ってしまったのです。そりゃ、社会的な組織の維持が困難になりますよ。

阿分駅の後方展望。奥が留萌方面になります。木製ホームです。この時、乗客は、筆者一人でした。運転士さんが「吹雪や嵐の夜に阿分駅の定位置に車両を停められれば、寝てても札幌駅に止められますよ」と笑っていました。1両でも前後の車両乗降口をホームに合わせるのは至難なのだそうです。

※2014年7月撮影

マヌケな話ですが信砂駅の写真を撮り忘れた様です。何故か信砂駅の写真だけ無いのです。

阿分駅から2.7kmで信砂駅(65世帯149人)、さらに0.8kmで舎熊駅(71世帯153人)。駅所在地は「しゃくま」と濁りません。

※2014年7月撮影

舎熊駅は、1921年(大正10年)開業。かつては相対式ホーム2面2線で列車交換ができました。

舎熊駅の後方展望。左側が海側です。

※2014年7月撮影

舎熊駅から1.7kmで朱文別駅(37世帯78人)。1963年(昭和38年)仮乗降場として開業。JR北海道に継承時、駅に昇格。

※2014年7月撮影

朱文別駅の後方展望。ホームは木製ではなくプレキャストコンクリート製。

※2014年7月撮影

朱文別駅から1.3kmで箸別駅(49世帯118人)。1963年(昭和38年)仮乗降場として開業。朱文別駅同様、国鉄分割民営化でJR北海道に継承された時に駅に昇格しています。

※2014年7月撮影

箸別駅の後方展望。ホームは木製デッキです。

※2014年7月撮影

増毛に近づき留萌本線は増毛港に沿って北にカーブします。

※2014年7月撮影

12:45、留萌駅から26分で増毛駅(292世帯686人)に到着しました。箸別駅からは、2.8km。

※2014年7月撮影

増毛駅は、増毛港を使うために留萌から鉄道が延長されて出来た駅です。留萌は地理的には最高の港でしたが、波が荒く土木技術的に築港に時間がかかったのです。留萌港が整備されるまでの間、増毛港を「早く使える港」として使うために鉄道が敷かれました。

1921年(大正10年)増毛駅が開業します。実際に留萌港が開港したのは1929年(昭和4年)でした。その間、増毛港がフルに使われました。そのため、増毛駅には転車台もあり、駅員の多い大きな駅でした。

※2014年7月撮影

しかし、本家の留萌港ですら、石炭産業とニシン漁の衰退で繁栄から凋落していったのです。留萌を補完するために開かれた増毛が異なる歴史を歩める理由が存在しません。

2014年(平成26年)7月の増毛駅は単式ホームと車止めというシンプルな終着駅でした。ホームに留萌から着いたキハ40-502が停まっていますが、10分程で留萌に折り返して行きます。トップ画像は、この直後、尾灯が点灯しました。

※2014年7月撮影

2012年(平成24年)駅舎に「孝子屋(ここや)ぐるめ食品」が開店しました。旧駅事務室を使った「そば処増毛駅」もありましたが、行った日はウィークデイなので営業していませんでした。土日祝日の営業だったのです。

※2014年7月撮影

次の深川行は、15:38、それまで約3時間あるので、ゆっくりと増毛の町を歩くことにします。

※筆者は既にコラムなどで今回の青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。

※価格などは2014年当時のものです。

※駅名の後の()内は、駅の周囲半径500mの円内に住む住民数です。(2010年国勢調査)

(写真・文/住田至朗)


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