東京を発着する横須賀線・総武線のE217系電車などをいったんとめておく、錦糸町駅 留置線。

総武線快速ホームからみえるこの留置線は、15両編成の列車を6本とめられる。留置線の東端部、くるま止めのむこうにJR東日本 錦糸町変電所がある。

この留置線や変電所の敷地を含む土地は、もともと地平の車両基地だった―――。

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1960年代後半まで存在した、錦糸町客貨車区。

さらに逆の錦糸町駅西側(秋葉原方)をGoogleマップでみると、保線車両基地の北側に、アルカキット錦糸町、東武ホテルレバント東京、すみだトリフォニーホールなどが入る複合大型ビルが並んでる。ここも、もともとは巨大な車両基地だった―――。

この錦糸町駅西側(秋葉原方)の車両基地は、錦糸町客貨車区と同じころまで存在した錦糸町貨物駅。

錦糸町客貨車区と貨物駅があったころの国土地理院航空写真がこれ↓↓↓

Googleマップで錦糸町駅を上空からみてみると、駅の東側に横十間川(よこじっけんがわ)、駅の西に大横川(おおよこがわ)が南北に流れている。

国土地理院の航空写真↑↑↑は、1966(昭和41)年の景色。Googleマップと見比べてみると、画像地図の右に縦に流れるのが横十間川、左の縦に大横川。

錦糸町駅を中心に、横十間川側にむけて広がるヤードが、客貨車区。大横川側にむけて広がるヤードが、貨物駅。駅の北側にある錦糸公園は、このころからあった。ちなみに、画像右から下へむけてカーブしている線が、いまもある越中島貨物線(総武線 越中島支線)。

客貨車区は、いまE217系がとまる留置線とは違い、地平にあった。いまの留置線は、高架化された本線と同じ高さにある。当時は高架の本線と地平の客貨車区を結ぶ連絡線で結ばれていた。

いっぽうの貨物駅をみると、貨物駅のすぐ北側に船着き場がある。当時はこの船着き場から大横川などを経て、都心へ物資が船で運ばれた。

また、↓↓↓画像のように、総武線の緩行線と急行線(快速)の間には、中線か引き上げ線の線路があったような痕跡がいまも残っている。

――― 東京で最後まで蒸気機関車の姿を見られたといわれる錦糸町。客貨車区や貨物駅の残り香が、変電所や保線区にうっすらとあるみたい。

ちなみに現在の錦糸町駅南口ロータリーは、都電 錦糸町駅前。画像にもその名残がみえる。