千葉 幕張車両センターに所属する209系 C418(後)+C437(前)編成が第二館山街道踏切を横切って木更津駅に入っていく。

いまいるここ第二館山街道踏切には、奥から久留里線(単線)、内房線(複線)の線路のほかに、もう1本、線路がある。

まさにこの立っているここに、その“もう1本の線路”が敷かれている。面は錆びてまっ茶色。この線路は……。

自衛隊駐屯地へ続く専用線

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木更津駅の上空をGoogleマップでみてみると、駅の左上(駅の西北)に滑走路がみえる。

この滑走路を含む敷地が、陸上自衛隊 木更津駐屯地と海上自衛隊 航空補給処。

さらにこの木更津駐屯地の右上(北東)には、航空自衛隊 木更津分屯基地がある。

この両駐屯地へと続く、専用線があった。第二館山街道踏切に残る朽ちた線路は、この専用線の跡。

↓↓↓国土地理院の1968年当時の航空写真には、左へカーブする線路と直線で結ぶ線路の跡がみえる。

いまその跡地がわずかに残っている。Googleマップで「高柳銚子塚古墳」と検索すると、内房線の線路から大きく左へ分岐し海上自衛隊 航空補給処へと行く線路跡と、航空自衛隊 木更津分屯基地にまっすぐ延びる線路跡がみえる。

とくに大きく左へ(北西へ)カーブする線路跡には、ソーラーパネルが整然と並んでいる。

この線路跡のレールはほぼはがされて消えてしまったけど、分岐付近にある根切踏切の脇には、農業用水路らしき小川の上に朽ちたガーダー橋がまだある。