前回東京五輪のレガシー(遺産)東海道新幹線の開業を振り返る 日本に高速鉄道時代がやってきた【取材ノートからNo6】

2021.07.17

「1―1ダイヤ」から「2―2ダイヤ」へ

開業当初の東海道新幹線は東京、新大阪ともに毎時00分に「ひかり」、同30分に「こだま」が発車する、分かりやすい「1―1ダイヤ」でした。

それが開業翌年、1965年10月のダイヤ改正(実際は台風を避けるため翌11月から)では、1時間あたりひかり、こだま各2本を走らせられる「2―2ダイヤ」に移行します。

開業1年を経過して路盤も固まったことから、「ひかり」「こだま」ともにスピードアップ。待望の「東京―新大阪間3時間10分運転」が始まったのでした。

当初の東海道新幹線は全車指定席でしたが、1965年10月のダイヤ改正で「こだま」に自由席が設定されます。1966年3月のダイヤ改正では、「自由席特急回数券」が発売され、区間運転の「こだま」は原則、全席自由席になります。以降、「こだまは自由席主体の新幹線」のイメージが定着します。

ビュフェを2両も連結

ラストは一番最初の新幹線車両、「0系新幹線電車」のポイントを紹介します。12両編成で「ひかり」と「こだま」は車両を共用。新大阪方1~4、6、10~12号車の8両が2等車、7、8号車が1等車(ご存じと思いますが今のグリーン車です)、5、9号車は半室2等車、半室ビュフェでした。

ビュフェが2両も連結されていたのは時代といえば時代ですが、2等車の乗客が1等車を通り抜けないで飲食できるようにするため。そういえば私も、関西への単身赴任時は、東京に帰る新幹線の食堂車でビールを飲むのが習慣化していました。

20年以上も増備された0系新幹線

N700SやE5系を見慣れた今の目でみると、どこかずんぐりむっくりに見えてしまう0系新幹線ですが、空気抵抗を減らすための流線形の車体は当時、十分に格好良く見えたものでした。ちなみに前頭部の〝ハナ〟はヘッドライトでなく「光前頭部」で、列車の存在を知らせます(ヘッドライトはハナの両脇に付いています)。

0系は1964年から1985年まで20年間以上も増備が続き、総数3216両に達しました。0系新幹線は当初、国鉄の部内的な形式名でしたが、1985年に100系新幹線電車が登場して車両を区分する必要が生じたため、一般にも「0系」の形式名が広まったそうです。

文:上里夏生


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