講演会で東京・大阪3時間運転を宣言

開業前に国鉄がイメージした東海道新幹線。車両はどこか在来線特急「こだま」に似ています。新幹線がコンテナ列車と思われる貨物列車とすれ違っているのにも注目。東海道新幹線には当初、夜間に貨物列車を走らせるプランもありました。(画像:1959年に国鉄が作成した東海道新幹線のパンフレットから)

そうした中で、現在の鉄道総研の前身に当たる国鉄の鉄道技術研究所(技研)は1957年5月30日、東京・銀座の山葉ホール(当時のヤマハは漢字表記でした)で、「東京・大阪3時間への可能性」と銘打った講演会を開催。最高時速250キロの超特急を走らせて、東京―大阪間を3時間で結ぶ構想をブチ上げ、世論を広軌別線に誘導したのでした。

東海道新幹線の起工式は、1959年4月20日に静岡県熱海市の新丹那トンネル東口で行われました。着工翌月の1959年5月には前回の東京オリンピック開催が決まり、新幹線を五輪までに開業させるという機運が一気に盛り上がりました。それにしても、あのころの日本は熱かった(そういう私も小学校入学前。社会人になってから先輩記者に聞いた話ですが)。

九州の気動車急行から新幹線超特急の列車名に大出世した「ひかり」

開業年の1964年には、東海道新幹線をめぐる話題が相次ぎます。7月7日には速達タイプの超特急が「ひかり」、特急が「こだま」の列車名が公募で決まります。有名な話ですが、それまでの「ひかり」は九州島内の気動車急行でした。それを1位に選んだ当時の投票者のセンスは、抜群だったのかも。他意はありませんが、「のぞみ」「みずほ」「はやぶさ」「とき」「かがやき」と現在の新幹線の列車名と並べても、「ひかり」が一番しっくり来るような気がします。

「こだま」は公募10位でしたが、光速の「ひかり」、音速の「こだま」と並べて語れることもあり、東海道線の在来線電車特急からスライドしました。「ひかり」と「こだま」の列車名は、半世紀以上経た今も現役です。