手にとらば 消えん泪(なみだ)ぞ熱き【木造駅舎カタログ】関西本線07/164 柘植駅
※2020年12月撮影
トップ画像は、関西本線柘植(つげ)駅。東海道本線の草津駅から懐かしい113系電車に乗って何度か来た駅です。関西本線は非電化ですが草津線は電化されています。駅舎は開業時のものが使われているのかな。
キレイな瓦屋根は葺き直されています。
※2020年12月撮影
柘植駅は、1890年(明治23年)関西鉄道の駅として三重県内で最初に開業した鉄道駅。関西鉄道が最初に敷設した現在の草津線の駅でした。
1907年(明治40年)関西鉄道は国有化。1909年(明治42年)線路名称制定で関西本線所属駅になります。柘植駅~草津駅間は草津線になりました。
1972年(昭和47年)貨物営業廃止。国鉄分割民営化でJR西日本の駅になります。
※2020年12月撮影
逆光でレンズ内にハレーションがでています。
※2020年12月撮影
駅前の道路幅いっぱいにカメラ位置を下げてもトップ画像まで引くのがやっと。端正な木造駅舎です。郵便ポストと電話ボックスのコンビ。戦後1949年(昭和24年)に郵政省と電気通信省に分割されるまでは1885年(明治18年)設置の逓信省が郵便と電信、電話を管轄していました。
※2020年12月撮影
駅出入口。建物財産標は見つけられませんでした。駅舎がいつ建造されたのかは未詳です。
※2020年12月撮影
駅前に松尾芭蕉の句碑がありました。判読できませんね。芭蕉は現在の三重県伊賀市、当時の柘植郷の出身。
※2020年12月撮影
右に説明があるのでその内容を記します。
手にとらば 消えん泪(なみだ)ぞ熱き 秋の霜
貞享元年(1684年)芭蕉四十一歳の作。『野ざらし紀行』所収。季語は「秋の霜」で秋。この句の前書に、「長月の初(はじめ)故郷に帰りて、北堂の萱草(けんそう)霜枯果て、今は跡だになし。何事も昔に替りて、はらからの鬢(びん)白く眉皺寄(まゆしわより)て、只命有てとのみ云て言葉はなきに、(後略)」とある。長月は陰暦九月。北堂は母の居室、萱草(ワスレグサ)はその庭に植えられたもの。「霜枯果て・・・」は、芭蕉の母がすでに天和三年(1683年)に死去したことをさす。はらからは、兄弟のことである。
句意は、「母の遺髪を手にとると、わが熱い涙のしずくで、それは秋の霜のように消え去るだろう。」の意である。
文字は、天理大学附属天理図書館蔵『野ざらし紀行』より複写
※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影しています。
(写真・文章/住田至朗)