背もたれ付きの作り付け木製ベンチは珍しい【木造駅舎カタログ】中央本線20/247 美乃坂本駅
※2021年09月撮影
トップ画像は、中央本線美乃坂本駅。中津川駅を過ぎて中央本線は「中央線名古屋地区」区間に入りました。多治見駅からは、名古屋への通勤圏の宅地集積地帯になります。
筆者は、5年ほど名古屋に転勤していたことがあります。1980年代半ばから90年代にかけての古い話で恐縮ですが、正にバブル時代を名古屋で過ごしました。
余談です。当時業務で週一回は東京に出張していました。そのおかげで港区内の狂乱バブル騒動もたっぷり味わいました。遊びに行ったのではありませんよ。中部圏のローカルCMを制作していました。とにかく仕事(撮影や編集)が終わっても港区内から実家に帰れないのです。青山通りの両側にはお札を振る人が列をなして「死霊の盆踊り」状態、朝方までタクシーは全部「迎車」。本当にウソみたいな時代でした。
話を戻します。飯田線沿いに走っていた中央高速道路も恵那山トンネル(下り線:8,489m/上り線:8,649m)で木曽山脈の西側、中央本線中津川駅の東を走る様になります。流石に名古屋に住んでいても転勤族はこの辺りに来る用事はありませんでした。
西側から駅舎。手前の茶色い部分も駅舎ですが、壁面が異なっています。駅前広場は美乃坂本駅月極駐車場になっています。
※2021年09月撮影
東側。岐阜県道420号線に沿って駅前広場があります。奥に新しい公衆トイレが作られています。
※2021年09月撮影
美乃坂本駅は、1917年(大正6年)官営鉄道中央本線の駅として開業。開業時の駅所在地、岐阜県恵那郡坂本村に由来する駅名ですが、既に鹿児島本線(1927年以降は肥薩線)坂本駅が存在していたので旧国名の美濃を冠して美濃坂本駅になる予定でした。それが何故「美乃坂本駅」になったのか諸説ある様ですが正確な理由は分かりません。
1961年(昭和36年)貨物取扱廃止。1984年(昭和59年)には荷物の取扱も廃止。1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR東海の駅になっています。
建物資産標がありました。記載は「鉄 03-2001 T6年 12月」駅が開業した時の駅舎です。キレイに改修されているので古さは感じられません。
※2021年09月撮影
左奥に見える茶色い塔が目立ちます。気になったので撮影の後、次の駅に移動する際に見に行きました。廃業した結婚式場/ホテルの建物でした。遠い夢の跡。
※2021年09月撮影
駅出入口。正面は改札口でICカード簡易改札機。構内跨線橋で島式ホームに渡る様になっています。みどりの窓口もある有人駅。待合室の窓際には作り付け木製ベンチがあって流石に建築された時代を感じました。でも背もたれ付きの作り付け木製ベンチは珍しいです。
※2021年09月撮影
※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影しています。
(写真・文章/住田至朗)