※2021年09月撮影

トップ画像は、太多線可児(かに)駅。筆者的には難読駅名です。名古屋に転勤していた時に「かに」という駅名を聞くことがあったので音としては知っていましたが駅名標を見て可児と書くことを知った次第。

駅出入口の前に東西自由通路の階段があります。駅舎の奥に見えているのがこの東西自由通路と併設されているバリアフリーのJR可児駅構内跨線橋です。

※2021年09月撮影

東西自由通路の北側に名鉄(名古屋鉄道)広見線新可児駅が隣接しています。

※2021年09月撮影

可児駅は東濃鉄道の終着駅、広見駅として1918年(大正7年)開業。当時の駅所在地が可児川左岸の旧広見町にあったのです。1926年(大正15年)東濃鉄道は国有化され、1928年(昭和3年)多治見駅から広見駅(現・可児駅)間が狭軌(1067mm)の新線になり広見駅も可児川右岸の現在地に移転。同時に美濃太田駅まで延伸され太多線が全通。翌1929年(昭和4年)名鉄広見線が太多線広見駅に乗入れ開始、1930年(昭和5年)名鉄新広見駅(現・新可児駅)が新たに隣接して開業しました。1982年(昭和57年)貨物取扱廃止。4月に可児市が発足したことで駅名を可児駅に改称。1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR東海の駅になります。2011年(平成23年)駅前広場整備が実施されました。2018年バリアフリーの構内跨線橋と東西自由通路が供用開始。

駅出入口。

※2021年09月撮影

建物資産標がありました。「鉄 03-1001 T7年 12月」との記載。駅が開業した期日ですが、当時の駅は、上記の様に可児川の東側にあったのです。国有化され軽便鉄道規格から狭軌に改軌された際に新線に切り替えられ当時の広見駅(現・可児駅)は可児川の西側の現在地に移されました。駅舎も移設されてのでしょうか。

東西自由通路のエレベーター横から駅舎北側。待合室北側にも出入口があります。相対式ホームが見えます。駅舎は上り多治見方面ホーム側。

※2021年09月撮影

駅前広場から左のJR可児駅と右の名鉄新可児駅。

※2021年09月撮影

広場の東側から可児駅と新可児駅。

※2021年09月撮影

可児駅出入口前から駅前広場。カラフルな時計塔がランドマーク?

※2021年09月撮影

太多線木造駅舎は以上の2駅でお仕舞いです。さて、次は・・・?

※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影しています。

(写真・文章/住田至朗)