ノイズの無い時代の濃密なイマジネイション【駅ぶら05】京成電鉄 本線58
※2022年6月撮影
トップ画像は、市川市教育委員会の案内。市川手児奈通りにありました。
万葉集の相聞歌。
「葛飾の真間の手児奈をまことかも 吾れ寄すとふ真間の手児奈を
葛飾の真間の手児奈がありしかば 真間の磯部に波もとどろに 作者不詳 巻十四 相聞」
長くなるので一部要約します。
葛飾真間に伝わる心優しく見目麗しい少女手児奈。その少女に心打たれた人々の思いがこの相聞歌として残されています。
以下は引用。
「本当だろうか、葛飾の真間の手児奈が私に思いを寄せているなんて、もし手児奈に思われていたとしたら、こんなに嬉しいことはないのに」・・・と空想したり
「あの葛飾の真間には名高い手児奈がいたものだから、真間の磯部の人たちは手児奈のことで、波もとどろくほどに騒ぎたてていたことだろう」・・・
と思いを馳せていたのです。 平成三十一年三月 市川市教育委員会」
テレビもラジオもCDもスマホもインター・ネットも無い、ノイズの存在しない時代の相聞。
油を燃やして灯りを得た時代の闇の深さ。星々の瞬きが聞こえそうなほどの静寂の濃さ。
私たちの想像力、その貧弱さに比べれば、闇の深さと静寂の透明さがもたらす相聞には、午睡の夢の様な濃密さを感じます。
その様なことを考えながら市川手児奈通りを歩いていました。
※2022年6月撮影
真間川の橋から下流、往きに渡った橋が見えます。
※2022年6月撮影
国府台得の脇から江戸川の土手に上がります。
※2022年6月撮影
京成線江戸川橋梁の南側に来ました。遠く「小岩菖蒲園」が見えます。
※2022年6月撮影
市川関所跡。対岸にも関所跡がありました。
※2022年6月撮影
対岸の小岩側に幕府役人の番小屋があり市川側は補佐的な役割だった様です。明治になって橋が架けられるまで人々は渡し船で東京と行き来しました。
※2022年6月撮影
黄色い矢印が対岸で見た小岩側の関所跡案内があった辺り。
※2022年6月撮影
度重なる護岸工事で関所のあった正確な場所は分からなくなっています。
※2022年6月撮影
では国府台駅に戻ります。
※2022年6月撮影
学校の引け時でしょうか、女子大生諸君が歩いてきます。
※2022年6月撮影
次回は、前面展望で市川真間駅に向かいます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。