車輪の響く所、文化あり【駅ぶら05】京成千葉線214
※2022年8月撮影
トップ画像は、みどり台駅前学園通りを歩いてJR総武線高架の東側。総武線高架沿いに広がる西千葉公園への出入口です。
先の方に公園が見えました。
※2022年8月撮影
西千葉公園です。
1954年(昭和29年)旧国鉄の動力車近代化計画(蒸気機関車を廃止してディーゼル気動車化)の車両基地として「千葉気動車区」が建設されました。内房線、外房線、総武線、成田線などが電化され1975年(昭和50年)に役割を終え「千葉気動車区」は廃止。その跡地に整備された公園です。
※2022年8月撮影
総武線沿いに約600mという細長い公園が広がっています。左の四阿で休憩します。
※地面が濡れているのはこれまでと別の日に撮影したからです
※2022年8月撮影
四阿の正面(北東)に文教通り(千葉大学西千葉キャンパス沿い)からの出入口があります。
※2022年8月撮影
子供たち向けの遊具もあります。
※2022年8月撮影
総武線に沿って稲毛駅方面に進みます。
※2022年8月撮影
テニスコートがあります。
※2022年8月撮影
テニスコートの横をさらに進行。(笑)
※2022年8月撮影
北側の公園終端部は初めて広くなっています。
※2022年8月撮影
公園終端部から総武線は、稲毛駅まで700mほどでしょうか。
※2022年8月撮影
東に公園内を一周します。何かモニュメントがあります。
※2022年8月撮影
「千葉気動車区跡記念碑」です。
※2022年8月撮影
記念碑に刻まれていた内容は以下です。
「車輪の響く所、文化あり
地域の発展に寄与した「千葉気動車区」は1954年国鉄動力車近代化計画実施に伴い車両基地として全国で初めてこの地に誕生。
以来、20余年、首都圏輸送の一翼を担い枢要な位置にあった。歴史は移り、総武、内房、外房線の電化により、1975年その使命を果たし廃止された。
ここに気動車区の往時を偲ぶ。 1986年 千葉市 建立」
この緑の公園が、筆者が大学生になった頃、ディーゼルカー(気動車)の車両基地だったのですね。不思議な気分です。
※2022年8月撮影
みどり台駅まで約1km、汗を拭きながら戻りました。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。