300年前の庚申塔があります【駅ぶら】06京王電鉄 京王線019
※2023年5月撮影
トップ画像は、京王線笹塚駅、甲州街道北側、代々木警察署笹塚交番を見ています。
交番の前から振り替えると黄色い矢印のところに渋谷区教育委員会による「笹塚跡」の案内があります。
※2023年5月撮影
アップで撮りました。
※2023年5月撮影
内容を書きます。
「笹塚跡
昔、このあたりの甲州街道の南北両側に、直径が1メートルほどの塚(盛土)がありました。その上に笹(または竹)が生い茂っていたことから、笹塚と呼ばれていたようです。
その塚が、慶長九年(1604)に設置された一里塚であるかどうかははっきりしませんが、この塚に一里塚の印を記載している古地図もあります。
また、江戸時代の文書にも笹塚のことが簡単に述べられています。大正五年(1916)に発刊された『豊多摩郡誌』には、「甲州街道の北側に石塚があったが、今は見られない」と書いてあります。
この塚があったことから、この地域一帯を昔から笹塚と呼び、今もそれが町名として残っているのです。」
後で触れますが、乗り鉄の嚆矢、内田百閒先生の『阿房列車』に「笹塚」が登場します。路面電車だった時代、笹塚の駅は、夜は真っ暗で悪い狐が出たそうです。
今は昔。
甲州街道に沿ってさらに150mも行かずに路地を右に曲がると御嶽神社があります。
※2023年5月撮影
JR青梅線御嶽駅から御岳登山鉄道(ケーブルカー)に乗って御岳山駅からは徒歩で登っていく武蔵御嶽神社。古くから豊作の神様として農民から尊崇されてきました。
農村だったこの地の住民が青梅の武蔵御嶽神社を分祀して祀ったのではないでしょうか。
※2023年5月撮影
境内も社もとても綺麗に掃除され大切にされています。
※2023年5月撮影
甲州街道北側に戻って50mほど西に歩いて、また路地に入ります。
※2023年5月撮影
笹塚庚申塚がありました。
※2023年5月撮影
ここにも渋谷区教育委員会の案内があります。
「庚申塔
庚申の信仰は中国の道教思想に基づくもので、江戸時代に盛んになり、村の辻などに庚申供養塔が建てられました。
庚申信仰は、六十日ごとに巡り来る庚申の夜、眠り込んだ人の体内から三尸(さんし)と呼ばれる虫が出て、天帝にその人の罪過を報告し、罰が下されるというもので、寝てはいけないと信じられていました。庚申堂や当番の人の家に集まった村人たちは、一晩中勤行をして夜明を待ちました。その仲間を庚申講と呼んだのです。庚申信仰は「猿」と「申(さる)」との混同から、庚申の日に猿田彦神をまつるようになりました。この庚申塔にも青面金剛像の下に三匹の猿が彫ってあります。
ここにある庚申塔は、元禄十三年(1700)に建てられたものですが、付近の人々によって、いまでも大切に守られています。」
庚申塔は、300年の間に摩滅が進んでしまった様です。
※2023年5月撮影
筆者が撮影している間にも、近隣の方が来て簡単に掃除をし、水を撒いてお詣りされていました。甲州街道はすぐ傍です。
※2023年5月撮影
甲州街道の南側に渡って駅に戻ります。その途中で見つけました。
※2023年5月撮影
「大正十年創業」とあります。1921年です。シャッターの左には小さな「久須理屋」の行燈、「くすりや」と読むのでしょうね。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)