※2024年1月撮影

トップ画像は「橋本神明大神宮」の200メートルほどある参道の真ん中辺りの二の鳥居。

手水舎の手前に御神木、木札には「御神木 夫婦榧(めおとかや) 神明大神宮」と書かれています。

※2024年1月撮影

境内を移動して「夫婦榧」の全体です。参道には大きな木がならんでいて分かり難いので御神木に黄色い矢印を付けました。

※2024年1月撮影

手水舎、水がないので持参のミネラルウォーターで手と口を浄めました。

※2024年1月撮影

まだ参道は続いています。

※2024年1月撮影

ようやく社殿です。

※2024年1月撮影

「橋本神明大神宮」と刻まれた石碑がありました。内容は以下でした。

「祭神 天照皇大神

由緒 永禄十二年1月ノ創建ト申傳フ 當神社二関スル諸記録ハ天保年間當部落大火ノ為メ焼失シテ知ルコト能ズ然レドモ古来ヨリ當境内地ヲ御伊勢ノ森ト称シ樹齢四五百年ノ松杉参道ヲ覆イ神厳ナル浄域ナルヲ見ル時往古ヨリ境内地トシテ爰(ここ)ニ奉祀シアリタル事ヲ想像スルモノナリ 柚木弥一書」

永禄12年(1569年)は、織田信長が京都で将軍足利義昭のために御所を作っていた頃です。ただ天保年間(1831~1845年)に大火で記録が消失。古来から境内地が「御伊勢の森」と呼ばれ樹齢4~500年の松や杉が参道を覆い厳かな神域の森であったと書かれています。今は広場の様に空が広がっていますが、往古は巨樹に埋め尽くされた森厳な場所だった様です。

神様にご挨拶します。

※2024年1月撮影

境内社、こちらは天満宮。右奥に本殿覆屋が見えます。

※2024年1月撮影

菅原道真公にもご挨拶。

※2024年1月撮影

社殿右にも小さな境内社。

※2024年1月撮影

その右に境内社「橋本大鷲神社」、工事中でした。

※2024年1月撮影

工事中でしたが神様にご挨拶。

※2024年1月撮影

「橋本大鷲神社奉賛会」の「酉の市の由来」という案内がありました。内容は、以下です。

「大鳥神社の本社は、大阪府堺市北大鳳町にあった。大鳥神社の祭神を日本武尊(やまとたけるのみこと)とする説もある。

昔は武士が武運長久を祈る神社だったが、次第に商売繁盛を祈り、客商売の開運の神として信仰されるようになった。

橋本大鷲神社は大正13年(1923年)に天日鷲命(あめのひわしのみこと)を祭神として創建奉献された。

初冬の風物詩として11月に「酉の市」を開催。地域商売の発展、繁栄と地域住民の安全と招福開運を祈願し、福を取り込むという縁起から、毎年酉の市で福熊手を買い直し、店内、家内に掲げる風習が今も盛んである。

三の酉まである年は、火事が多いなどの迷信もある。 橋本大鷲神社奉賛会」

「橋本大鷲神社」の鳥居の前にも御神木がありました。

※2024年1月撮影

森厳な雰囲気というよりも広々と清浄な境内にならぶ古木を眺めました。

これで相模原線の【駅ぶら】も終了です。369日間にわたり、京王線の【駅ぶら】にお付き合いありがとうございました。

次回は「井の頭線」の【駅ぶら】です。「渋谷駅」の周囲をブラブラします。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)