牛窪地蔵尊の名前の由来がスゴイ【駅ぶら】06京王電鉄 京王線020
※2023年5月撮影
トップ画像は、京王線笹塚駅の甲州街道南側。駅を過ぎて東に歩いています。
笹塚交差点です。
※2023年5月撮影
ありゃ、幡ヶ谷駅の散歩でこの中野通りを北上して清岸寺に行ったのでした。距離的には笹塚駅の方が近かったですね。
※2023年5月撮影
通りを渡った所に「牛窪地蔵尊」があります。社はモダン建築の様なデザインです。
※2023年5月撮影
社の手前に石碑が並んでいます。
※2023年5月撮影
大きな道路供養塔と庚申塔などが並んでいます。
※2023年5月撮影
道路供養塔は、江戸時代後期文化三年(1806年)建立。庚申塔は、享保九年(1724年)。前回見た庚申塔よりも少し後のものです。
右の渋谷区教育委員会の案内には
「江戸時代の道供養信仰は、道祖神、地蔵尊などの交通安全、悪魔退散の呪術的信仰とは異なり、橋供養などと同様に道や橋への報恩感謝の念を献げることで安全を祈願する供養塔です。この供養塔は、中野通りの北、駒場道(鎌倉道)に建てられていたものです。中野通りと甲州街道が交わるこの辺りは地形が低くなって江戸時代から牛ヶ窪と呼ばれ地域の農民が雨乞い行事を行った場所という言い伝えもあるようです。」
地元有志の解説板に由れば、ここが極悪人の刑場だったこと。極刑の「牛を使って罪人の両脚から股を引き裂くという牛裂きの刑」が行われた場所から牛窪と呼ばれたことなどが書かれていました。さらに極刑にあった罪人の祟りで疫病が流行ったので刑死した霊を鎮める地蔵が祀られたのだそうです。
ちなみに右端の「交通事故遭難慰霊碑」は1970年(昭和45年)の建立。
街道が交わり古来から人々が行き交う場所らしい様な気もします。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)