将軍池と加藤山【駅ぶら】06京王電鉄 京王線051
※2023年5月撮影
トップ画像は、八幡山駅「大宅壮一文庫」の東、150mほどにある「世田谷区立将軍池広場」にあった都立松沢病院による案内。
「将軍池と加藤山の由来
この池と築山(つきやま)は、都立松沢病院(大正八年に、東京府巣鴨病院が旧東京府小石川区巣鴨駕篭町からこの地に移転し、東京府立松澤病院となりました。)の第五代院長呉秀三のもと、加藤普佐次郎医師、前田則三看護師及び多くの患者によって、屋外作業療法の一環として造られたものです。
大正十年七月から造園作業に着手し、翌年には約八割の工事を終えましたが、完成間近の大正十二年九月一日の関東大震災により、築山は、当初の富士山型が崩れ、現在のなだらかな形になりました。
その後、造園作業は再開され、園芸家堀切三郎の指導により、あずまやを配置するなどして、大正十五年に完成しました。
この将軍池と加藤山は、原田次郎の英文の著書「日本の庭園」JAPANESE GARDENSによって、精神障がい者の造ったすばらしい庭園として広く世界に紹介されました。
将軍池の名は、作業に参加した患者で自称「将軍」葦原金次郎にちなんだものです。また加藤山の名は作業を指導した加藤普佐次郎医師に由来しています。
写真
将軍池と加藤山の周囲は病院の敷地のため、立入はできません
東京都立松沢病院」
※2023年5月撮影
葦原将軍の話は、書物などで読んだコトがあります。こちらはなだらかな加藤山でしょうか。
※2023年5月撮影
周囲を散歩することはできませんが「世田谷区立将軍池広場」から閑かな佇まいを楽しむことができます。
※2023年5月撮影
将軍池の周囲には、フェンスがはり巡らされています。というか都立松沢病院の敷地は全てフェンスなどで画然と仕切られています。
※2023年5月撮影
「世田谷区立将軍池広場」全景、右の白いデッキスペースからゆっくり将軍池を眺めることができます、
※2023年5月撮影
「世田谷区立将軍池広場」は、上北沢駅と赤堤通りを結ぶ道路沿いにありました。
※2023年5月撮影
上北沢駅の方に歩いていると、都立松沢病院のガチョウ(?)にエサをやっている方がいました。
※2023年5月撮影
通り過ぎて見ると、こんな感じです。日常的にエサやりをしておられる様でした。奥の木々が「世田谷区立将軍池広場」。
※2023年5月撮影
都立松沢病院の広大な敷地は、自然が豊かです。
※2023年5月撮影
結局八幡山駅ではなく上北沢駅に戻りました。
※2023年5月撮影
次回は、八幡山駅から芦花公園駅に向かいます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)