京都鉄道博物館は5月23日「カニ」の展示の終了を発表しました。と言っても甲殻類の「カニ」ではなく、電源車「カニ24形12号車」を指します。鉄道博物館では異例ともいえる「展示終了」ですが、そこには誰もが納得する理由がありました。

縁の下の力持ち「カニ24形12号車」

展示を終了するカニ24形12号車

電源車「カニ24形12号車」は1976年2月に製造されました。2016年の廃車時まで新大阪駅近くにある宮原客車区(現網干総合車両所宮原支所)に在籍。主に関西発の寝台特急に使われました。

その後、大阪~札幌間を結んだ寝台特急「トワイライトエクスプレス」に使用するため、青色主体から緑色主体の塗色に変更。「トワイライトエクスプレス」だけでなく、寝台特急「日本海」にも使われました。2016年4月の廃車後、京都鉄道博物館で展示されてきました。

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ところで、電源車は車内の照明や冷暖房などに使う電力を生み出す車両を指します。機関車がけん引する客車には基本的に電車のような集電装置「パンタグラフ」はありません。電気機関車にはパンタグラフはありますが、集めた電力は運転に使われます。

電源車にはディーゼル発電機があり、そこで電力を生み出します。このように電源車1両から電力を供給する仕組みを「集中電源方式」といいます。しかし、「集中電源方式」には客車の分割・併合がやりにくいという欠点があります。

そこで、国鉄は1970年代に各車両の床下にディーゼル発電機を設置し、電源車を排した「分散電源方式」の客車14系を登場させました。しかし、分散電源方式は1972年に発生した北陸トンネル火災事故により採用がストップし、再び「集中電源方式」に戻りました。

集中電源方式の復活に伴って登場したのがカニ24形です。1974年~1980年にかけて0番台25両、100番台16両が製造されました。後年に0番台・100番台のうち11両が寝台特急「北斗星」をはじめとする上野~札幌間直通列車に使用するため、耐寒耐雪仕様に改造され、500番台を名乗りました。

知られざる電源車の世界

新聞輸送などに使われた荷物室

「カニ24形12号車」車内のうち、約4分の1は荷物室となっています。荷物室では新聞輸送などに使われ、一般客の荷物は置かれませんでした。

荷物室では「新日本海」という表記を見つけた

荷物車を観察すると「新日本海」と記された注意書きを見つけました。ここでの「新日本海」は「トワイライトエクスプレス」を指すものと思われます。

車両中央にディーゼル発電機がある

車両中央には2台のディーゼル発電機が設置されています。この発電機が稼働した際は話声が聞こえないほどの作動音が響き、熱気も半端ではありませんでした。

配電盤があり、かなり狭い乗務員室

荷物室の反対側にあたる車端部には乗務員室があり、発電機の操作・確認ができます。配電盤には冷房・暖房時使用時に点灯するランプなどがあります。また、乗務員室内はかなり狭く、クーラーの代わりに扇風機が設置されています。乗務員室からの眺めは良いですが、居住性はよくありません。

扇風機に国鉄マークの刻印はなかった

ちなみに、扇風機の刻印はおなじみの国鉄マークではなく「HITACHI」でした。

あまり見かけなくなった大きな「JR」ロゴ

外装では濃緑色に黄帯という「トワイライト色」が目立ちます。また、側面では近年ではあまり見かけなくなった「JR」マークも見どころのひとつです。

気になる展示終了の原因は?

車体のゆがみにより、側面ドアは開かなくなった

さて、「カニ24形12号車」の展示終了の理由として、京都鉄道博物館からのプレスリリースでは「車体の老朽化」を挙げています。具体的には床面が沈んだ状態になっています。原因として発電機をはじめとする荷重に耐えきれなくなった可能性が考えられるとのこと。車体がゆがんだ影響により、側面のドアは開かなくなりました。

車体のゆがみは時として大事故を招きます。展示終了は残念ですが、致し方ありません。なお、「カニ24形12号車」の代わりの展示車両は「設置するか・しないか」も含め、検討中とのことです。

館内での「カニ24形12号車」の展示は6月27日までですが、展示終了後も当面の間は留置線で見学できます。

記事:新田浩之
※写真は全て筆者撮影

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