寺院通りを散歩します【駅ぶら】06京王電鉄 京王線067
※2023年5月撮影
トップ画像は、千歳烏山駅の北側、旧甲州街道を越えて「烏山交番横通り」のクランクを抜けた右側にある石材店の「寺院御案内」看板。26ものお寺が並んでいます。
筆者の実家は、1963年(昭和38年)から1977年(昭和52年)まで赤い〇の辺りにありました。筆者が小学2年生から大学4年生までの14年間です。
甲州街道(住民は「バイパス」と呼んでいました)が近くなります。
※2023年5月撮影
甲州街道の手前に「烏山中学校」があります。千歳烏山に住んでいた頃、筆者はここの温水プール(世田谷区スポーツ振興財団)に通っていました。利用料金がリーズナブルです。
※2023年5月撮影
甲州街道(バイパス)を渡ります。
※2023年5月撮影
甲州街道(バイパス)、奥は八王子方面になります。
※2023年5月撮影
筆者は、小学校3年生の時、この右側の歩道から東京オリンピック(1964)のマラソン、裸足のアベベを応援しました。奥は新宿方面。
※2023年5月撮影
甲州街道を渡って寺院通りを北上します。筆者の通った世田谷区立烏山北小学校です。こちらは正門ではありません。在学当時は給食室が右奥にあって、放課後余っている牛乳を何本でも飲めました。(笑)
※2023年5月撮影
世田谷区の「街区案内図」がありました。左のお寺がたくさんあるエリア、赤い〇が筆者の実家があった場所です。実家の跡は、数軒の建売住宅になっていました。
※2023年5月撮影
寺院通り、最初のお寺は左側の玄立山妙高寺。
筆者が小学2年生から通学の行き帰りに見ていたお寺が始まりました。
※2023年5月撮影
妙高寺は、寛永2年(1625)浅草今戸に開山。天保の改革を行った水野家の帰依を受け浅草に4千坪の地を寄付され広大な堂塔が並んでいたそうです。関東大震災後の昭和2年に移ってきました。
※各お寺の紹介は、世田谷区「寺院通り区民集会所」の紹介文などを参照しています
中央高速道路の高架があります。筆者が小学生の頃はまだありませんでした。
※2023年5月撮影
高架下から西を見ています。高速道路が出来る前は広大な畑が拡がっていました。右側にアイスクリームなどを売る小さなパン屋さんがあった記憶が残っていますが、流石に写真はありません。
※2023年5月撮影
寺院通り散歩が続きます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)