※2023年10月撮影

トップ画像は「片倉城跡公園」の「住吉神社」参道、最後の石段を上がっています。

鳥居の手前からのカット。右に大木があります。

※2023年10月撮影

こちらにも「住吉神社」の案内。

※2023年10月撮影

内容を写します。

「記  住吉神社

鎮座地 八王子市片倉町2475番地

御祭神 上筒男命

中筒男命

底筒男命

由緒  鎌倉管領片倉城主 長井大善大夫道広が、応安5年(1372年)城の鎮守の神として、

摂津国(大阪市)住吉大社を勧請したのである。

慶安2年(1649年)10月17日、徳川三代将軍より朱印7石を受ける。

境内は城跡で、都の指定を昭和11年3月受ける。

例祭日 8月第4日曜日

附記  当神社には、嘉永4年(1851年)川幡元右衞門泰吉および、その門人が「数学の実力がつきますように」という祈願された算額が奉納されています。」

「上筒男命」「中筒男命」「底筒男命」は、所謂「住吉三神」ですね。14世紀に祀られた古い神社の様です。

神様にご挨拶する前に手と口を浄めます。

※2023年10月撮影

神様にご挨拶します。

※2023年10月撮影

社殿の脇に「東京都教育委員会」による「東京都指定史跡 片倉城跡」の案内があります。

※2023年10月撮影

内容は以下です。

「片倉城跡は、湯殿川と兵衛川の合流点を臨む北東方面に張り出した丘陵先端部に位置する中世城館です。北・東・南の外周部は約30mの急崖となっており、自然地形を生かした城郭です。西からの丘陵頂部は平坦ですが、深い空堀により画された主郭と第二郭からなります。現道の配置等から第二郭の西方にも堀切りがなされ、三郭からなる直線連郭式城郭であった可能性もあります。空堀により画された二つの郭には土塁や櫓台、腰曲輪、土橋などが良く残ります。

『新編武蔵風土記稿』などでは応永年間(1394~1428)の大江備中守師親の在城を記し、大江氏や大江氏の後裔の長井氏の城郭とされていますが、確証はありません。

築城主体や年代の特定は困難ですが、深大寺城跡などの他の中世城郭との比較から15世紀後半以降に築城され、16世紀代に廃城となったと推定されています。しかし、城郭としての配置や技法、古川越街道や鎌倉街道と隣接する交通の要衝であることから、小田原北条氏による築城や利用の可能性も指摘されています。

平成22年3月 建設  東京都教育委員会」

教育委員会の案内板の前から神楽殿と鳥居の方を見ています。

※2023年10月撮影

石段の方に戻って鳥居と社殿。神域には何とも清浄な気が満ちていて俗垢に塗れた筆者も清々しい気分になりました。とても癒される空間です。石段を50段上るだけの有り難さがあります。

※2023年10月撮影

石段ではなく神楽殿脇の坂を降りてきました。この方が膝の痛みが楽なのです。

※2023年10月撮影

さて「片倉城跡公園」に戻るために50段の石段をゆっくり下ります。

※2023年10月撮影

次回は、公園の「水車小屋」を見に行きます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)

【関連リンク】