コラム【鉄の余談】16 石北本線 廃止された駅 ②
※2014年3月撮影
トップ画像は、JR北海道石北本線北見駅。上川駅発6:16発網走行で10:05に北見駅到着。車両切り離しなどで35分の停車でした。
既に姿を消してしまったJR貨物の気動車DD51 1165が停まっています。
DD51 1165のカラーリングに懐かしさを覚えます。
※2014年3月撮影
では前回の続き、石北本線を網走行、金華駅に停車。3月とは思えない雪の深さです。
※2014年3月撮影
鉄道チャンネルでかつて放送されていた「ニュース546」に鉄道アイドルの伊東桃さんが出演、彼女の著書『桃のふわり鉄道旅』(開発社/2016年)の話になったことがあります。以下はその概略。
何と伊東桃さんは、この金華駅に下車して駅舎で過ごしたことがあるのです。下車時期は2016年1月、既に夕暮れになっていたが、ふと金華で降りてみたくなったのだという。次の列車を無人の駅舎で待っていたのだが、電灯は点かずほぼ暗闇、しかも周囲はマイナス10℃、待合室に暖房は無い。剰りの寒さに靴を床に付けていると足先が凍りそうになるのでパタパタと足を上げ下ろししながら、自らを励ます様に大きな声で歌を歌っていたらしい。
そこに偶然、クルマで駅を見に訪れた老夫婦がやってきて、暗闇の無人駅舎の中、大声で歌う若い女性を見つけ、心底驚かれたらしい。そりゃ、誰だって驚きますよ。(笑)
これがその駅舎。
※2014年3月撮影
1980年代までは、国鉄官舎や商店が駅前にあったそうですが、官舎は廃止。過疎化が急速に進行、国勢調査によれば2020年(令和2年)北見市留辺蘂町金華(33.4平方キロ)の人口は、4世帯7人。ちなみに杉並区と同じくらいの広さです。
「常紋トンネル工事殉職者追悼碑」の案内が掲示されています。金華小学校の跡地に1980年(昭和55年)に建碑されました。
金華駅から山の中を登って行くと常紋トンネル(507m)です。
※2014年3月撮影
1912年(明治45年)着工。標高347メートル、周囲が無人の山中、難工事には、3年もかかり1914年(大正3年)開通しました。工事完了までに100人を越える死者が出たと言われています。1959年(昭和34年)トンネルから1km離れた場所に慰霊の地蔵が建立されました。その地蔵の付近からだけでも50体の遺骸が発掘されています。
1968年(昭和43年)の十勝地震で壁面が損傷。1970年(昭和45年)改修工事などの現場から頭蓋骨に損傷のある人骨が発見され人柱の言い伝えが事実であると分かりました。さらに10体の遺骨が見つかっています。
筆者は好きではありませんが、怪談のホット・スポットという噂です。
網走駅に11:46到着。
※2014年3月撮影
上川駅から330分、キハ40 733に揺られてきました。13:25発の知床斜里行に乗り継ぎました。
さて、石北本線旭川~上川間の北日ノ出駅、将軍山駅、東雲駅が、2021年(令和3年)に廃止されました。愛山駅は2024年(令和6年)3月廃止でした。
2016年(平成28年)9月筆者は、この区間に乗って写真を撮っていました。石北本線の廃駅の補遺です。
旭川駅ホーム、16:14発の上川行に乗ります。
※2016年9月撮影
キハ40 1711の1両で進行します。
※2016年9月撮
石北本線は、新旭川駅までは宗谷本線と同じ線路です。いきなりローカルっぽくなるのは北日ノ出駅の手前からです。コンクリートのシンプルなホームの北日ノ出駅。
※2016年9月撮影
この駅、普通列車も通過してしまい、1日に下り4本、上り6本が停車するだけでした。
駅名標。周囲は、良くも悪くもかなり長閑(のどか)。
※2016年9月撮影
この駅は、1960年(昭和35年)仮乗降場として設置。何とその27年後、国鉄分割民営化でJR北海道に継承されて駅に昇格。2021年(令和3年)3月廃止されました。
この年、上川駅~遠軽駅間が台風9号による降雨災害で不通となり9月からバスによる代行輸送が始まっていました。優等列車は運行されていませんでしたが、当麻駅で普通列車は、20分間、運行されていない優等列車の列車交換待ちをしていました。律儀というか・・・。
将軍山駅。この駅も停まる列車が少なく、上川行の始発は14:25までありません。上り旭川行は、6~9時には毎時1本、通学用でしょうか。将軍山(というか丘)が駅の東200メートルにあってホームからも見えます。
※2016年9月撮影
駅名標。
※2016年9月撮影
この駅も北日ノ出駅と同じく1960年(昭和35年)仮乗降場として開業。国鉄分割民営化でJR北海道に継承された時に駅に昇格しています。そして2021年(令和3年)廃止。
愛山駅、だいぶ暗くなってきました。この駅もコンクリートのシンプルなホーム。
※2016年9月撮影
旭川~上川間で沿線住民が最も少ない駅。国勢調査(1990年)では、駅を中心にした半径1kmの円内に31世帯82人が住んでいましたが。2015年(国勢調査)には、34人に半減していました。
駅名標。
※2016年9月撮影
1960年(昭和35年)仮乗降場として開業。北日ノ出駅、将軍山駅と同様にJR北海道に継承された1987年(昭和62年)駅に昇格しています。しかし2駅よりも3年後の2024年(令和6年)3月に廃止されました。
出発した列車の後方、待合室と自転車が1台も駐められていない駐輪場が見えます。
※2016年9月撮影
上川駅の手前2.4km。東雲駅。駅名は「とううん」です。「しののめ」ではありません。
※2016年9月撮影
駅名標。
※2016年9月撮影
この駅は、愛山駅と全く同じ経緯(1960年仮乗降場、1987年駅)をたどって、少し早い2021年(令和3年)廃止されました。
この後、筆者は上川駅からは代行バスで遠軽駅に移動しました。
※2016年9月撮影
遠軽のビジネスホテルに宿泊。
困ったのが夕食、駅周辺にはやっている食堂が殆ど無いのです。一応飲食街の場所を聞いてから行ったのですが月曜定休が多いとか。選択肢がなく、入った居酒屋はハッキリ言って大外れ。不倫カップルが横でウダウダ腐敗した睦言を言っているし、ツマミは不味い。しかも妙に高い。
まぁ、そーいうこともあるさ、と諦めてさっさと切り上げ、ホテルに戻りました。
やれやれ。
(文・写真) 住田至朗
※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。
※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)他を参照しています。
※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。