※2014年7月

トップ画像は、2023年(令和5年)に廃止されたJR北海道留萌本線の真布(まっぷ)駅。石狩沼田駅から3.4km。幌新太刀別川の橋梁が青く見えます。

駅名標。

※2014年7月

駅は、1956年(昭和31年)仮乗降場として設置されました。1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR北海道に継承されると同時に駅に昇格。2023年石狩沼田駅~留萌駅間の廃止にともなって駅も廃止。

停車中の車内からなので待合室は、どアップになってしまいました。(笑)

※2014年7月

これは2014年の帰路に撮った前面展望。青年が真布駅ホームで待っていました。

※2014年7月

真布駅から2.9kmで恵比島駅。駅名標。

※2014年7月

恵比島駅は、1910年開業。1930年(昭和5年)~1971年(昭和46年)留萠鉄道が当駅から昭和駅間(17.6km)を結んでいました。留萠鉄道は点在する炭鉱から石炭を留萌港に運ぶ為に炭鉱会社が共同で設立。当時の鉄道省に運行を委託。石炭だけではなく人間も運びました。しかし60年代末に炭鉱が次々に閉山。鉄道の存在理由が無くなり廃止。2023年(令和5年)留萌本線石狩沼田駅~留萌駅間廃止。恵比島駅も廃駅となりました。

これが恵比島駅の駅舎。貨車駅舎ですが、1999年(平成11年)駅が、NHKの朝ドラのロケ地になって、右に見えているロケセットの駅舎が作られました。その横に貨車駅舎があると映像的にNGなので木の板でカモフラージュされています。

※2016年9月

ホームにはロケで使われた駅名標も残っていました。あしもえ(明日萌)駅です。筆者は、そのドラマをちゃんと見ていないのですが、橋爪功さんが温厚な駅長さんだったコトを幽かに覚えています。

※2016年9月

有人駅時代の基礎の上に建てられたロケセットの明日萌駅舎。なかなか立派です。

※2016年9月

2016年の前面展望。奥が深川方面。留萌本線廃止で全国から鉄道ファンが来ていました。ホームにカメラを構える方々が見えます。

※2016年9月

7.6kmの長い駅間で峠下駅。列車交換の出来る駅でした。

※2014年7月

これは帰路に撮った写真。下り列車と列車交換しました。駅舎は下りホームにあります。

※2016年9月

2014年7月の帰路。上り列車から駅舎。

※2014年7月

これは往きの下り列車から駅名標。後は駅の倉庫。

「ほろぬか」が上書きされているのは、2006年(平成18年)3月に廃止された東幌糠駅があったためです。

※2014年7月

駅は、1910年(明治43年)開業。2023年(令和5年)石狩沼田駅~留萌駅間廃止にともない駅も廃駅。

下り列車から駅舎。

※2014年7月

列車交換で時間があったので駅舎正面。駅舎内を撮影しなかったことが悔やまれます。

※2014年7月

廃駅後も駅舎は、残されていましたが、冬期の積雪で自然倒壊。

駅舎出入口を背に道道613号線を見ています。凄い数のバッタが跳び回っていました。あんなにイッパイ跳んでいたのに意外に写らないモンですね。

※2014年7月

峠下駅から6.2kmで幌糠(ほろぬか)駅。

※2014年7月

駅名標。やはり東幌糠駅が上書きされています。

※2014年7月

1910年(明治43年)開業。戦前は、御料林(皇室所有の森林 戦後は国有林)の木材搬出駅でした。2023年(令和5年)石狩沼田駅~留萌駅間が廃止され駅も廃駅。

貨車駅舎がありました。

※2016年9月

上り列車前面展望。奥は深川方面。貨車駅舎が分かります。

※2014年7月

次は、藤山駅です。

(文・写真) 住田至朗

※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。

※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)『北海道 駅名の起源』(日本国有鉄道北海道総局/1973年)他を参照しています。

※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。