※2015年3月撮影

トップ画像は、2020年(令和2年)5月に廃止されたJR北海道札沼線非電化区間、中小屋駅。駅名標。雪深いエリアですね。

2016年9月の駅名標。ありゃ、後の縦型ホーロー駅名標が無くなっています。

※2016年9月撮影

中小屋駅は、1935年(昭和10年)開業。1944年(昭和19年)太平洋戦争激化により不要不急路線として札沼線石狩当別~石狩月形間休止。駅も休止されます。1946年(昭和21年)石狩当別(現・当別)~浦臼間営業再開。駅も営業を再開。2020年(令和2年)札沼線非電化区間(石狩当別~新十津川間)廃止。駅も廃止されました。

2015年3月には雪が積もっていました。

※2015年3月撮影

雪が無いとこんな感じです。カメラ位置が微妙に違いますが。

※2016年9月撮

2015年3月の後方展望、中小屋駅。奥は石狩当別方面。

※石狩当別駅は現・当別駅ですが、以下、石狩当別駅で通します

※2015年3月撮影

2016年9月は、前面展望でした。

※2016年9月撮

貨車駅舎正面。駅舎の手前に有人駅時代の駅舎基礎があります。

※2019年6月撮影

駅舎内も記録しておきます。駅廃止後、撤去されて現存しません。椅子の上に筆記具がありますが駅ノートは見当たりませんでした。

※2019年6月撮影

ホームから駅舎。

※2019年6月撮影

かつては島式ホーム1面2線だったことが駅舎側に残っているレールで分かります。

※2019年6月撮影

中小屋駅から2.8kmで月ヶ岡駅。

※2015年3月撮影

雪が無いと駅前広場が分かります。周囲は農地です。

※2016年9月撮

月ヶ岡駅は、1958年(昭和33年)開業。1993年(平成5年)駅舎が焼失したため待合室としてログハウス風の駅舎が再建されました。2020年札沼線非電化区間廃止にともなって駅も廃止されました。

ログハウス風駅舎(待合室)は、ホームから少し離れています。

※2015年3月撮影

雪が無いと、手前の駐輪場も見えました。

※2019年6月撮影

国道275号線から月ヶ岡駅。

※2019年6月撮影

待合室内の時刻表。この時の新十津川行は、8時10分でした。

※2019年6月撮影

月ヶ岡駅の前面展望。奥が石狩当別方面。駐輪場が見えています。

※2016年9月撮影

廃止後月ヶ岡駅は、幸い月形町が「月ヶ岡農村公園」としてホーム、駅舎などを保存しています。

月ヶ岡駅から2.6kmで知来乙駅。単式ホームの手前に道道11号線の踏切があります。

※2015年3月撮影

駅名標。一面雪で覆われていました。

※2015年3月撮影

2016年9月は雪が無いので踏切につながる道道が見えます。

※2016年9月撮影

知来乙駅は、1958年(昭和33年)開業。最初から無人駅でした。2020年(令和2年)札沼線非電化区間廃止にともなって駅も廃止。

ホームから石狩当別側のスロープを降りると駅舎(待合室)があります。

※2016年9月撮影

周辺は、農地が広がっています。ホーム横は、野原かな。

※2016年9月撮影

知来乙駅の後方展望。木造駅舎が見えます。

※2015年3月撮影

2025年(令和7年)現在、知来乙駅のホーム、木造駅舎は解体撤去され、線路も剥がされていて、駅の痕跡は何も残っていません。

次回は、2019年(令和元年)6月に撮った知来乙駅の姿です。

(文・写真) 住田至朗

※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。

※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)『北海道 駅名の起源』(日本国有鉄道北海道総局/1973年)他を参照しています。

※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。