コラム【鉄の余談】43 廃止された留萌本線に乗りました③
※2016年9月
トップ画像は、幌糠駅から5.5kmの藤山駅。1990年(平成2年)に廃止された桜庭駅があったので駅間が長くなっています。大きな駅舎はこちら側が切り取られた様な感じです。
駅名標。
※2016年9月
駅は1910年(明治43年)開業。2023年(令和5年)石狩沼田駅~留萌駅間の廃止にともなって駅も廃止。
ホームから駅舎。有人駅時代からの建物。廃止前の写真を見ると綺麗に改修されていました。
※2016年9月
後方展望。奥が深川方面。
※2014年7月
4.2kmで大和田駅。ホームがカーブしています。
※2016年9月
停車中の乗降ドアから。
※2016年9月
駅名標。
※2016年9月
大和田駅は、近隣の炭鉱から石炭を留萌港に積み出すために設けられた駅です。駅開業以前、明治末頃には炭鉱から留萌港まで馬車鉄道が敷設されて石炭を運びました。1910年(明治43年)駅が開業。大正時代には、炭鉱から留萌港への馬車鉄道は廃され炭鉱から大和田駅までが敷設されました。しかし昭和30年頃までに炭鉱は閉山。駅からの石炭輸送もなくなり駅は縮小されます。1980年代に有人駅時代の駅舎は、貨車駅舎に替えられました。2023年の石狩沼田駅~留萌駅間廃止にともなって廃駅。
現在の駅所在地は大和田ですが、元は炭鉱所在地に駅が作られたので炭鉱名が駅名になりました。
貨車駅舎。錆でボロボロだった様ですが、2014年(平成26年)には綺麗に再塗装されていました。
※2014年7月
大和田駅、帰路の前面展望。奥は深川方面。
※2014年7月
留萌川を渡って留萌駅です。
※2016年9月
右手前が、羽幌線が留萌駅からスイッチ・バックして羽幌方面に向かっていた東留萌信号場でしょうか。
※2016年9月
留萌駅跨線橋で渡る右側のホームに留萌行は到着します。
※2014年7月
8時5分に深川駅を出た留萌行は、9時に留萌駅に到着。
駅名標。
※2014年7月
1910年(明治43年)開業。1941年(昭和16年)留萌港までの石炭運搬専用線が国有化され留萌駅の構内線化。羽幌線が東留萌信号場でのスイッチ・バックから留萌駅から直に伸びる新線に変更され信号場は廃止。70年代を前に留萌港からの石炭輸送が終焉。1967年(昭和42年)現在の駅舎に改築。1987年(昭和62年)3月羽幌線廃止。4月国鉄分割民営化でJR北海道に継承されました。1997年(平成9年)駅名を留萠(旧字)から留萌に変更。2016年(平成28年)12月当駅~増毛駅間が廃止。2023年(令和5年)4月当駅~石狩沼田間が廃止。駅も廃駅。
駅舎に行きます。跨線橋から3時間後に向かう増毛方面。橋梁がふたつ、橋梁の数え方(助数詞)を知りません、見えますが片方しか使われていない様です。
※2014年7月
反対の深川方面。奥が元の東留萌信号場でしょうか。
※2014年7月
待合室に駅そばがありました。起きてから3時間半でようやく朝食!
※2014年7月
ゴボウ天そばとおにぎりで580円。美味しかった~。
※2014年7月
駅そばは、残念ながら駅が廃止された日に閉店したそうです。
構内で懐かしい留萌本線の写真を展示していました。食後に見ました。これは真布駅。戦前だったと思います。踏切に電気的な警報機がありません。
※2014年7月
数人のお年寄りが写真を見ながら楽しそうに話をしていました。
横で聞いていたら「この人は、駅名が筑紫から秩父別に変わった昭和29年頃の駅長さんだった」「真面目で堅物だったねぇ」「でも子供に優しかった」などと口々に教えてくれました。
※2014年7月
廃止された深名線や羽幌線の話も超面白かった。ちゃんとメモしておけば良かった・・・。
これは戦時中、アッツ島で戦死した遺骨を迎えた写真。筑紫駅(その後の秩父別駅)の昭和18年9月。1943年です。
※2014年7月
「子供だったからあんまり覚えてないけど、とにかく大勢戦死したからねぇ。」ここから「親戚の誰々が戦死した」「あ、それなら兄さんの友達だった」とか、しばらく内輪の話で盛り上がってました。
筆者は、D613という蒸気機関車を知りませんでした。
※2014年7月
D51(デゴイチ)を改造した形式で旧国鉄が最後に製造した蒸気機関車だそうです。「これ、見晴公園においてあるヤツだよ。日本に残っている唯一のD61だってさ」と車両に詳しい元国鉄職員だったというお爺さんが教えてくれました。
見晴公園の案内板に拠れば「昭和35年9月羽幌炭の輸送を主目的とし、国鉄郡山工場においてD51型蒸気機関車、6両が従台車「1軸ボギー」を2軸ボギーに改造しD61型蒸気機関車として新しく生まれ変わり以来、D613号車は、昭和35年10月深川機関区に配属され、もっぱら羽幌炭等の輸送に活躍し、延べ2,272,955Kmにおよぶ長距離を走り続けたものです。昭和48年4月30日で留萌・羽幌間を最後に雄退。」
ご老人たちの話。「とにかく昔は石炭を満載した貨物列車を蒸気機関車が引っぱって無闇にたくさん走っていた」「客車はいつも乗れないほど混んでいた」「留萌駅なんか石炭積んだ貨車だらけでだった」などなど。「ニシンが信じられないくらい捕れて、あふれてこぼれたニシンを拾って毎日のおかずにしてた」と大笑いされてました。楽しいお話しありがとうございました。
跨線橋から見えた鉄橋の話をしたら、駅から歩いてすぐだよ。と教えてもらいました。増毛行まで2時間半以上あるので行ってみることにしました。
駅舎ホームから見た鉄橋。望遠レンズです。
※2014年7月
次回は、留萌の町を少し歩きます。
(文・写真) 住田至朗
※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。
※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)『北海道 駅名の起源』(日本国有鉄道北海道総局/1973年)他を参照しています。
※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。