※2014年7月撮影

トップ画像は、JR北海道帯広駅。2014年7月31日です。朝5時起床、釧路駅5:45発の滝川行に乗って約3時間、8:39に帯広駅に着きました。乗って来た列車が30分後に快速「狩勝」になります。停車時間に外で一服。(笑)

朝9時前ですが、既に気温は30℃を越えています。暑かった~。

※2014年7月撮影 オリジナルが縦なので加工しました

釧路から乗っているキハ40 1737は、9:09発の快速「狩勝」になって滝川に向かいます。

※2014年7月撮影

駅の方に「快速狩勝」について訊きました。「昔は急行狩勝だったのが、急行が無くなったので快速になったものです。狩勝という名前は、富良野と新得の間にある狩勝峠からとってます。昔は難所だったけど、今はトンネルで抜けています」とのことでした。

反対側ホームには下り列車。北海道では珍しい首都圏色のキハ40 1749です。

※2014年7月撮影月 右の首都圏色 現存しません

キハ40 1749は、1979年(昭和54年)製造のキハ40 122を1992年(平成4年)ワンマン化改造してキハ40 749にしたものをさらに2007年(平成19年)に延命改造(機関・変速機の強化換装・他)して車番を1749にした車両。残念なことにもう1両の首都圏色キハ40 1758とともに2024年7月に廃車になっています。

帯広駅を出発した快速滝川行は、落合駅にさしかかります。この前面展望を見るコトは、もうできません・・・。

※2014年7月撮影

帯広から2時間23分かかって11:32に富良野に到着。筆者は、富良野から未乗の富良野線に乗り換えて旭川に向かいます。

写真はホームの「富良野・美瑛ノロッコ号」。もちろん筆者は初めて見ました。

※2014年7月撮影

11:45の富良野線旭川行に乗って12:58に旭川駅に到着。ホームに着いたキハ40 729。

※2014年7月撮影 現存しません

1980年(昭和55年)に製造されたキハ40 191が種車。1991年(平成3年)ワンマン化されてキハ40 729になりました。2021年(令和3年)3月廃車されています。

この日は、朝5時から8時間、何も食べていません。流石にオナカが減って、倒れそうです。旭川駅構内で駅そばを発見。

※2014年7月撮影

空腹の剰り、写真がブレています。江丹別野菜天そば(500円)。

※2014年7月撮影

美味しかった~。江丹別は、地元旭川にあった村名。蕎麦の名産地だそうです。(店の方に教えてもらいました)

ようやく人心地がついて、外に出て一服。

※2014年7月撮影 オリジナルが縦なので加工しました

この後、函館本線で17:09に小樽駅に着きました。でも19:21の長万部行まで乗継時間が2時間以上ありました。待合室で休んで、19時頃ホームに出ました。構内のキハ40 1816。

※2014年7月撮影 現在も稼働中

1980年(昭和55年)に作られたキハ40 180を1994年(平成6年)にワンマン化してキハ40 816に改番。さらに2011年(平成23年)延命改造(機関・変速機の強化換装・他)を施してキハ40 1816に改番しています。幸い、現在も稼働している様です。

入線してきた長万部行。キハ40 819の2両編成。後方が長万部側です。

※2014年7月撮影 現存しません

1980年(昭和55年)製造のキハ40 208が1994年(平成6年)にワンマン化されてキハ40 819に改番されています。2021年(令和3年)8月に廃車されました。

長万部側はキハ40 817。

※2014年7月撮影 現存しません

この車両も1980年(昭和55年)製造のキハ40 186を1994年(平成6年)ワンマン化、キハ40 817に改番しています。連結しているキハ40 819よりも早く2020年(令和2年)3月に廃車になりました。

長万部着が22:39。長万部で夕食は無理です。温泉街の居酒屋も22時頃には閉まっていました。小樽での乗り継ぎ待ち2時間の間に駅弁を買っておきました。贅沢して「おたる 海の輝き」。記憶では、1800円位しました。

※2014年7月撮影 オリジナルが縦なので加工しました

値段なりに豪華なお弁当でした。これをアテに男山純米カップを呑みます。

※2014年7月撮影

乗った編成にエアコンは設備されていませんが、運転士さんから「この先の駅、山の中なので蛾が異常発生しています。暑いですが窓を全部閉めて下さい。登り降りがなければ扉も開けません」とアナウンスがありました。仁木駅だったと思いますが、スゴイ蛾の大群がいました。幸い乗降客もいなかったので、蛾は車内には入ってきませんでした。しばらく走ると「もう窓を開けても大丈夫です」とアナウンス。

※2014年7月撮影

長万部駅に到着して、タクシーで温泉旅館に移動。3月にも2泊した旅館ですが、夏はダメです。

部屋にはエアコンがありません。でも浴室の上の部屋でとにかく暑かった。窓全開ですが、隣の宿の10メートルも離れていない部屋で夜中まで、ご老人たちが宴会をやっていました。少し耳が遠いのか、とにかく声がデカい、オマケにカラオケもやっていて、婆サマたちの嬌声もすごかった。疲れ切っていましたが、真夜中まで眠れませんでした。

翌日は8月1日八朔(はっさく)です。この日北海道から本州に戻ります。6時36分発の函館行に乗るので6時過ぎに長万部駅に来ました。駅構内のキハ40 1793。

※2014年8月撮影 道南いさりび鉄道で稼働中

この車両が筆者の乗る函館行になりました。

種車は、1981年(昭和56年)製造のキハ40 231。1993年(平成5年)ワンマン化されてキハ40 793になりました。2007年(平成19年)延命改造(機関・変速機の強化換装・他)されて車番が1793になっています。2016年(平成28年)北海道新幹線開業で江差線を引き継いだ道南いさりび鉄道に移籍しました。

何と2019年(令和元年)6月に北海道に行った筆者は、函館駅からこの車両に乗りました。キハ40 1815と連結しています。

※2014年8月撮影 道南いさりび鉄道で稼働中

長万部から函館本線で函館に向かいました。森駅で列車交換。キハ40 1800。ありゃりゃ、この車両は7月28日にも森駅で見かけていました。

※2014年8月撮影 現在も稼働中

大沼駅で列車交換。下り列車はキハ40 1801、後方の車番は分かりません。

※2014年8月撮影 稼働中

1980年(昭和55年)製造のキハ40 172が1993年(平成5年)ワンマン改造でキハ40 801に改番。さらに2004年(平成16年)延命改造(機関・変速機の強化換装・他)で1801に改番されました。幸い現在も稼働中です。

五稜郭駅からは木古内行に乗り換えました。下り列車のキハ40 1792です。

※2014年8月撮影 現存しません

1980年(昭和55年)製造のキハ40 173が1993年にワンマン化されてキハ40 792に改番。さらに2004年(平成16年)延命改造(機関・変速機の強化換装・他)でキハ40 1792になっています。2024年(令和6年)5月除籍されて譲渡される様ですが詳細は分かりません。

五稜郭駅から木古内駅まで乗ったキハ40 1810。あ、この車両には2014年3月に函館駅から長万部まで乗っていますね。五ヶ月前です。

※2014年8月撮影 道南いさりび鉄道で稼働中

その時の既述。1981年(昭和56年)製造のキハ40 219を1994年(平成6年)ワンマン化して810に改番。さらに2011年に延命改造(機関・変速機の強化換装・他)して1810に改番。2016年に道南いさりび鉄道に譲渡、【濃緑色】夏カラーにカラーリングされて活躍しています。元気に44年走り続けています。

さてこれで2014年7月の北海道キハ40コレクションはお仕舞いです。

7月は、23両のキハ40を撮影、4両か゛現在も稼働中。3月と合わせると46両撮影しました。残念ながら31両が廃車か除籍されています。150両のうち撮影していないのは、104両です。

さて、この後、2015年3月、2016年9月、2017年1月、2019年6月と4回北海道を旅してキハ40を撮影しています。あと何両、記録できるでしょうか。

次回は、2015年3月です。

(文・写真) 住田至朗

※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。

※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)『北海道 駅名の起源』(日本国有鉄道北海道総局/1973年)他を参照しています。

※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。