コラム【鉄の余談】35 廃止された札沼線に乗りました⑤
※2015年3月
トップ画像は、石狩月形駅から4.7kmと長めの駅間の豊ヶ岡駅。車窓から何度も見た風景。ホームから少し離れた駅舎(待合室)。
知らない人がこの写真を見ても、駅舎とは思わないでしょう。
木製の単式ホームが林の中にポツンとあります。2015年3月に来た時は、かなりボロボロのコンクリート板のホームでした。改修したのかな。
※2016年9月撮影
駅名標。
※2016年9月撮影
豊ヶ岡駅は、1960年(昭和35年)開業。住民の請願で設置されました。当時は近くに石炭炭鉱があって人が多く住んでいたのです。でも調べて見たら石炭の月形炭鉱まで5km離れてました。
1963年(昭和38年)炭鉱は閉山。駅周辺の住民は減ってゆきました。その後は秘境駅として鉄道ファンの間で有名になります。2020年(令和2年)5月札沼線非電化区間(北海道医療大学~新十津川間)廃止にともない駅も廃止されました。
豊ヶ岡は北海道に多い住民の願望が込められた瑞祥地名です。不思議なコトに地図などで見ると地域は豊ヶ丘となっています。
2019年6月にレンタカーで訪問した時は、1km以上離れた国道275号線に小さな「豊ヶ岡駅」という案内がありました。
豊ヶ岡陸橋。カメラを持った鉄道ファンがいました。
※2019年6月撮影
陸橋から見た豊ヶ岡駅。100メートル以上離れています。
※2019年6月撮影
望遠レンズで撮りました。
※2019年6月撮影
未舗装の細い道を駅に向かいました。街灯など存在しません。暗くなったら懐中電灯が無いと駅に行けないのでは?
※2019年6月撮影
踏切があってホームと見慣れた駅舎。
※2019年6月撮影
木製の単式ホーム。背後は崖です。
※2019年6月撮影
豊ヶ岡陸橋が見えます。
※2019年6月撮影
駅舎の方に行ってみます。
※2019年6月撮影
車窓から、この角度は見えません。意外に大きい、と感じました。
※2019年6月撮影
奥側にトイレがあります。
※2019年6月撮影
正面。駅名の木札がかかっています。
※2019年6月撮影
駅舎内、待合室。温度計がありました。温度は19℃、湿度67%。普通運賃が石狩当別駅、新十津川駅ともに540円。ちょうど真ん中辺りなのでしょう。
※2019年6月撮影
駅廃止後、駅舎は残念なことに解体撤去された様です。
2015年3月の豊ヶ岡駅後方展望。
※2015年3月撮影
3月ですが、車窓には雪原と山々。
※2015年3月撮影
2.5kmで札比内駅。
※2015年3月撮影
駅は、1935年(昭和10年)開業。戦時中の休止期間を経て、1946年(昭和21年)営業再開。駅舎もその時に建てられました。2020年(令和2年)札沼線北海道医療大学~新十津川間廃止で駅も廃止。
ホーム、駅名標、駅舎。
※2016年9月撮影
ホーム側から駅舎。
※2016年9月撮影
駅舎正面。右は別棟のトイレ。
※2019年6月撮影
駅舎内、出札窓口。
※2019年6月撮影
「改札はしませんから時間になりましたら自由にホームへおいで下さい」と書かれた木札が置いてありました。
ホームと駅舎。かつては駅舎側にも線路があった様です。
※2019年6月撮影
これは2016年9月に新十津川駅から石狩当別行に乗った時の前面展望。札比内駅。駅舎は、もっと左に離れています。
※2016年9月撮影
次は、晩生内(おそきない)駅
(文・写真) 住田至朗
※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。
※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)『北海道 駅名の起源』(日本国有鉄道北海道総局/1973年)他を参照しています。
※鉄道、駅などは鉄道会社、利用者の皆様のおかげで撮影させていただいています。ありがとうございました。