※2025年11月撮影

トップ画像は、三輪茂侶神社。社碑に「式内社」とあります。流山市観光協会の茂侶神社のページにある様に、平安初期に作られた法令集「延喜式神名帳」に記載されている神社が式内社です。

広い境内は「三輪野山散策の森」になっています。

この神社にも三輪野山自治会館が併設されています。

※2025年11月撮影

流山市教育委員会による「茂侶神社ヂンガラ餅行事」の案内がありました。

※2025年11月撮影

記載内容を写します。

「茂侶神社ヂンガラ餅行事 流山市指定無形民俗文化財二号

茂侶神社は大物主命を祀り、平安時代初期の書物「延喜式」にその名を記された神社であると考えられている。

毎年一月八日(最近は最寄の日曜日)三輪野山地区のオビシャが行われる。神前には八升の御神酒、八升の餅、八種類の野菜の煮物が供えられる。祭典、トウ流し(年番の引継ぎ)、直会の後若衆が大きな供餅を引き千切りあい、奪いあう「餅取り」を行う。行事はかつては近隣から若衆が集まり裸で餅を奪いあうもので、奇祭とよばれていた。餅の割れ方でその年の作柄を占ったと言われる。

流山市教育委員会」

二の鳥居は朱色。

※2025年11月撮影

参道を進みます。

※2025年11月撮影

御祭神 大物主命(オオモノヌシノミコト)にご挨拶します。一の鳥居から社殿までは、100メートル以上ありました。

※2025年11月撮影

実は、庚申塔がたくさん有ることは流山市立博物館刊行の『流山庚申塔探訪』で分かっていたのですが、広大な境内を散々ウロウロしても見つけられなかったのです。

半ば諦めて、神社の外の道を改めて一周していて、一の鳥居の下手に石塔が列んでいるのに気付きました。

※2025年11月撮影

一番左、高さ65cm。庚申塔の文字が彫られています。天保七年(1836年)。

※2025年11月撮影

植栽があるので正面から撮影できません。左から2つ目、青面金剛像が彫られている塔の高さは98cm。天明二年(1782年)の庚申塔。

※2025年11月撮影

素晴らしい状態の古石仏が列んでいます。庚申塔ではありません。

※2025年11月撮影

その右には庚申塔が列んでいます。

※2025年11月撮影

一番左。青面金剛が合掌しています。三猿で庚申塔であることが分かります。これは古い、元禄十年(1697年)。「二世安楽祈」と彫られています。

一つ挟んで右の青面金剛が合掌する庚申塔は更に古く元禄四年(1691年)です。こちらの祈願名も「二世安楽」。

右から2つ目は傷みが激しいので判然としません。桐ヶ谷北村、文化九年(1812年)と彫られています。

右端は、上部の日・月、青面金剛像の持つショケラと宝剣、足下の邪鬼はやや判然としませんが、その下の三猿もとてもクリアな状態。寛政十二年(1800年)の庚申塔です。これも近くで丁寧に見る価値があると感じました。

※2025年11月撮影

祠の右にも石塔が列んでいます。

※2025年11月撮影

左端は庚申塔の文字。文化十五年(1818年)。

真ん中。文字は、青面金剛。享和三年(1803年)。

右端も、庚申塔の文字。天保三年(1832年)。

※2025年11月撮影

足下には、文化九年(1812年)と読める小さな石祠と馬頭観世音菩薩の石塔が列んでいます。馬頭観音には弘化四年(1847年)と読めるものがあります。

※2025年11月撮影

流山おおたかの森駅から「森の美術館」、天神社、庚申坂を下って三輪茂侶神社まで、5km近く歩きました。おまけに広大な三輪茂侶神社の境内、庚申塔を探してウロウロしました。流石に少々歩き疲れました。

次回は、流山市内の庚申塔めぐりです。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などはつくばエクスプレス(首都圏新都市鉄道株式会社)の許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

首都圏新都市鉄道株式会社 会社要覧2024

るるぶ情報板関東31 つくばエクスプレス JTBパブリシング 2025年5月1日

つくばエクスプレス沿線アルバム 生田誠 山田亮 アルファベータブックス 2023年8月5日

つくばスタイル No.12 枻出版 2011年4月10日

つくばエクスプレス 最強のまちづくり 塚本一也 創英社 2014年10月23日 他

流山市の庚申塔については 流山市立博物館調査研究報告書『流山庚申塔探訪』流山市教育委員会発行を参照しています

【関連リンク】