※2025年11月撮影

トップ画像は、流山市平方村新田989の稲荷神社。

右上が江戸川左岸の土手、狭い道路沿いにありました。

※2025年11月撮影

コンパクトなレンタカーですが、この道路ではすれ違えません。

※2025年11月撮影

東は広大な農地が広がっています。県道の向こうには流通基地や流山工業団地などがあります。

※2025年11月撮影

「流山100か所めぐり」がありました。

※2025年11月撮影

内容です。「江戸時代中期以前創建の神社。江戸川改修工事により昭和37年(1962)現在地に移転。稲荷神社の祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ-倉稲魂命)。境内には庚申塔などの石造物がある。」

参道右に石塔があります。

※2025年11月撮影

青面金剛像が分かります。

※2025年11月撮影

では左から見てゆきます。

※2025年11月撮影

左から2基め。青面金剛像が凄く綺麗に残っている庚申塔。右面の紀年銘は「享和三癸亥十月吉日」、1803年でした。

その右は珍しい円柱の庚申塔。庚申塔と文字が彫られています。右側に文政五壬午とあるので1822年。

その右の青面金剛像は残念ながらお顔が判然としません。上部の種子は珍しいアーンク(胎蔵界大日)。正徳の文字が判読できるので、正徳年間(1711-16)の庚申塔です。

その右、左端が庚申塔です。

※2025年11月撮影

影になっていて見難いですが、上部に日・月。文字で庚申供養と刻まれ、文字の右に「宝暦五乙亥」と彫られているので1755年の造立。

その右の自然石には、十九夜塔の文字。

御祭神宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)にご挨拶します。クルマが来たら・・・と急いで撮影していたので祠の上部が写っていません。

※2025年11月撮影

流山市西深井92-1先(『流山庚申塔探訪』の記載)に移動。更地に石塔が列んでいます。見事に庚申塔でした。

※2025年11月撮影

左端の傾いた塔。上部の種子バン(金剛界大日)の下に「奉供養庚申講敬白」と文字が刻まれています。右に「享保十七壬子十月吉日」とあるので1732年です。左には「念仏講同行女子十七人」と彫られています。高さは117cm。

その右の庚申塔、青面金剛の文字が見えます。上部に日・月と種子ウーン。右面の紀年銘は「寛政四壬子天」。1792年。左面に「西深井講中」とありました。

その右、合掌する青面金剛像。上部に日と月、種子ウーン。右の「安永三年十一月吉日」は1774年。この塔にも「下総国葛飾郡西深井村」と刻まれています。

その右の小さい塔。下部の三猿と僅かに残った「塔」の文字から元は「庚申塔」と彫られていたと『流山庚申塔探訪』では推測されています。右面に「弘化四未十一月吉日」、1847年です。

※2025年11月撮影

右の3基は青面金剛像。

※2025年11月撮影

左の黒っぽい塔は高さ120cm。合掌する青面金剛像の足下に邪鬼。さらに三猿。紀年銘は「享保七年寅十月吉日」。1722年、300年以上経っています。

中央は93cmと小さめの庚申塔。青面金剛像は、宝剣と左手にショケラ(髪の長い女性)。邪鬼の顔がまん丸です。右面に「延享五戊辰天」とあり、1748年。

右端は、134cmの大きな庚申塔。上部に種子ウーン、合掌する青面金剛像。邪鬼の顔が妙にリアルです。

『流山庚申塔探訪』には下記の注がありました。

※ここには全部で七つの庚申塔が並んでいるが、昔、眼病に効くと言われ、近郷から詣る者が多かったという。(p.91)

朝の8時半にレンタカーをピックアップして、この時点で12時半。4時間で70基ほどの庚申塔を撮影。流石にちょっと草臥れました。オナカもへったので昼食がてら30分休憩します。

(写真・文/住田至朗)

【駅ぶら】一駅ずつ降りて駅の周りを一周してみます | 旅とおでかけ 鉄道チャンネル  https://tetsudo-ch.com/column/ekibura 

※参照資料
首都圏新都市鉄道株式会社 会社要覧2024
るるぶ情報板関東31 つくばエクスプレス JTBパブリシング 2025年5月1日
つくばエクスプレス沿線アルバム 生田誠 山田亮 アルファベータブックス 2023年8月5日
つくばスタイル No.12 枻出版 2011年4月10日
つくばエクスプレス 最強のまちづくり 塚本一也 創英社 2014年10月23日 他

流山市の庚申塔については 流山市立博物館調査研究報告書『流山庚申塔探訪』流山市教育委員会発行を参照しています

【関連リンク】