「民鉄に乗る」から「私鉄に乗る」にタイトルを変更しました

理由は単純に民鉄という言葉があまり人口に膾炙(かいしゃ)していないからです。先日鉄道に特段の興趣を持たない友人との会話で筆者が「民鉄」と言うと一瞬不思議そうな顔をして「ああ、私鉄のことね」と言いナオされたのが発端です。私企業としての鉄道会社は自らを「民営鉄道」と称したい様なので「民鉄」を使ってきましたが、その友人曰く「民間鉄道かと思ったよ。何だか、戦前の軍・政府と民間の分け方みたいだもん」。成る程そーいう感覚もあるのね、と思って一般的な「私鉄」を使うことにします。

わたらせ渓谷鐵道

さて、わたらせ渓谷線は旧国鉄の足尾線を第三セクターのわたらせ渓谷鐵道が引き継いだ路線です。元々は足尾銅山から産出される鉱石を運搬するために足尾鉄道が1911年(明治44年)に部分開業し1914年(大正3年)に全通した路線です。1918年(大正7年)に国有化され桐生〜間藤間、間藤〜足尾本山(貨物線)が足尾線となりました。1970年(昭和45年)にはC12型蒸気機関車のさよなら運転が行われています。1973年(昭和48年)足尾銅山閉山。同年、草木ダム建設による新線への付け替えが行われ草木駅が廃止されました。1984年(昭和59年)第2次特定地方交通線で廃止承認。1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR東日本に継承されましたが1989年(平成元年)に足尾線は廃止となり、同年わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線(44.1km)が開業しました。

文字通り渡良瀬川上流の渓谷に沿って走る車窓からの景色が素晴らしい線区です。また教科書でも習った足尾鉱毒事件の現場に通じる鉄道でもあります。鉄道施設37件が国の登録有形文化財に登録されています。

起点はJR東日本両毛線の桐生駅

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朝6時過ぎです。2016年11月の撮影なのでまだ夜が明けきっていません。「ぐんまワンデーパス」(2100円)を購入しての旅です。

ホームには既に間藤行が入線していました。2011年から営業運転されているWKT-500形ディーゼルカー(501号)です。

側面には紅葉と猪。

これは2009年9月に、同じ場所で撮った写真です。「開業20周年」のヘッドマークを付けた「わ89ー100形101号車」です。わたらせ渓谷鐵道の開業にあたって製造された気動車で、2013年(平成25年)まで使用されました。東京パノラマ マンボ ボーイズのリーダーでミュージシャンのパラダイス山元氏が富士重工勤務時代に車体、カラーリング、ヘッドマーク、動物イラスト、会社ロゴ、社章などをデザインしたそうです。

わたらせ渓谷鐵道のホームからJR両毛線が見えます。115系湘南色です。いいなぁ。

などキョロキョロしているうちに、間藤に向けて出発の時刻です。

ここから両毛線を下新田信号場まで1.7kmをJRと共用します。一見複線ですが、実は両毛線はこの区間は単線で、わたらせ渓谷線が走るのは桐生駅〜下新田信号場間の引き込み線ということになります。

渡良瀬川橋梁を渡ります。

橋を渡るとすぐに下新田信号場です。正に信号場でJR両毛線211系電車とすれ違いました。わたらせ渓谷線が分岐した後、両毛線の交換設備になっています。

信号場から200mで下新田駅があります。JR東日本高崎総合訓練センターと下新田車両基地が左に見えます。下新田駅は1992年(平成4年)に開業した新しい駅です。

わたらせ渓谷線は両毛線と離れてゆきます。

架線がなくなって空が広くなります。

相老駅に近づくと左から東武桐生線が近づいてきます。

相老駅の構内。頭上に県道の跨線橋があります。

わたらせ渓谷線は相対式2面2線です。東武線は島式ホーム1面2線。正面にこれから分け入ってゆく山々が見えます。

スプリング・ポイントで再び単線になります。

東武鉄道桐生線は離れてゆきます。

まだ桐生駅を出発したばかりですが【私鉄に乗ろう 13】わたらせ渓谷鐵道 その2 運動公園駅〜上神梅駅 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)