※この「私鉄に乗ろう」の写真は、筆者がプライベートな旅で撮影したものです。鉄道会社さんから許可をいただいていませんので、乗車券があれば誰でも入れる場所から、手持ちで撮影したスナップ写真です。ポケットに入るコンパクト・デジタルカメラで撮影しています。

京福電気鉄道 社名は「京福送電線」が語源

京福電鉄の前身に当たる京都電燈が、祇園周辺など夜間に電力需要の多い京都と、織物工場が多く昼間の電力需要の高い福井を結びお互いの電力を融通するために建設した「京福送電線」が語源です。確かに京急電気鉄道は京都と福井で鉄道事業を行っていたので、その頭文字をとって京福と名乗っていても不思議はありませんが、一般的な鉄道会社名付け方の様に京都と福井を結ぶ鉄道路線を計画したということではありません。

福井県内で行っていた鉄道事業は、現在、えちぜん鉄道に譲渡されています。京都では叡山電鉄本線・鞍馬線が元は京福電鉄が運営していましたが経営難から分離して叡山電鉄に譲渡された後、京阪電鉄の100%子会社になっています。

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現在の京福電気鉄道は、嵐電と呼ばれる嵐山本線と北野線の軌道事業と、鉄道事業として比叡山に登る叡山ケーブル・叡山ロープウェイを運営しています。

嵐電の歴史

1910年(明治43年)嵐山電気軌道が京都(現・四条大宮)〜嵐山間を開業しました。1918年(大正7年)京都電燈が嵐山電気軌道を合併、嵐山電鉄部の下で運営されます。1928年(昭和3年)全線が複線化。1942年(昭和17年)京福電気鉄道に譲渡されて現在に至っています。

四条大宮駅から乗ります

阪急電車の大宮駅で下りて地上に出ると、四条大宮交差点を挟んで京福電鉄嵐山本線の駅、というかビルが見えます。

嵐電側から四条大宮交差点を挟んだ阪急電車大宮駅。

窓口で「嵐電1日フリーきっぷ」500円を買っていたら「すぐに嵐山行が出ます」と言われて、慌てて飛び乗ったので、この改札の写真は戻って来て撮ったものです。

嵐山行は、京福電気鉄道モボ501形電車(502号車)です。1984年(昭和59年)武庫川車両工業(現・阪神車両メンテナンス)製。嵐電で初めての冷房車両で、Z型パンタグラフも初搭載、トロリーポール操作が不要になったので前面は大型ガラスの固定式になりました。嵐山駅に到着した時の写真。

運転台横から前面展望を撮りますが、これが実に難しかったのです。右側は運転士さんが車内を確認するので邪魔になります。左は、多くが駅への出入り口なので利用者の邪魔にならない様に駅に近づく度に移動します。とにかく撮影のタイミングが微妙で、上手く撮れていない写真続出ですが、御宥恕ください。その上、マスコンのすぐ向こうに上に繋がる黒い線があって、これにピントが合ってしまって最後まで悩まされます。新設軌道を走ります。

渡り線があります。駅かな?

四条通りを渡ったトコロに西院駅。四条大宮から1.4km。

復路で撮った駅名標。1934年(昭和9年)京都府告示では「さいいん」ですが、古くから住民は「さい」と呼んできたので京福電鉄の駅名の読みは「さい」です。

ボケボケですみません。前面ガラスの手前にある黒い線にピントが合ってしまいます。西院駅から0.6kmで西大路三条駅です。

駅名標。窓ガラスの汚れが写ってしまいました。

この駅から先は併用軌道になります。眼の前を西大路通りが横切っています。

上りホームは併用軌道の道路上にあります。

三条通りを併用軌道が西に走っています。正面は嵐山周辺の山。

上り電車が見えます。駅の様です。

0.8kmで山ノ内駅。ひじょうに狭い安全地帯のホームが相対式になっています。電車がホームに入ると停留場前後の信号が赤に変わって電車利用者の安全を確保します。そのため、先に駅に接近した電車は信号が変わらない様に駅手前で待って、同時にホームに入ります。

京都市営バスが走っています。

葛野大路通り(かどのおおじどおり)を渡って、三条通りが細くなって右に離れてゆきます。嵐電は新設軌道に入ります。

嵐電も三条通りに沿う形で右に曲がります。

・・・と今回はここまで。次回【私鉄に乗ろう 44】京福電鉄 嵐山本線・北野線 その2 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)