肥薩おれんじ鉄道 肥後田浦駅

列車交換で停車している時間に駅舎を撮っていて、偶然、駅前に黄色いポストを見つけました。フランス(それに習ったトルコ)の郵便ポストは黄色かったと思いますが、日本では初めて眼にしました。

黄色いポスト横の立て札には黄色いポストの由来が記されていました。

黄色いポストになったわけ
「黄色は幸せの代名詞。人は皆、幸せに憧れます。ここに田浦郵便局のご支援を賜り、黄色いポストを設置することとなりました。これを機会に町のシンボルとして活用し、明るい街づくりに貢献することを目的としています。 平成17年12月19日 田浦町商工会」

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既に13年間、黄色いポストはこの場所で郵便物を受け入れてきたのですね。

肥後田浦駅は、戦前は日本軍の主要な軍需工場(東海電極田浦工場)や軍需物資の海上輸送拠点(田浦港)があったため1945年(昭和20年)には米軍による空襲が3回も行われ、駅は大きな被害を受けています。戦後も1984年(昭和59年)に車扱貨物が廃止されるまでは上下線の間に工場専用貨物列車用の中線が有りました。

(写真・記事/住田至朗)