【私鉄に乗ろう 59】養老鉄道養老線 その1
※この「私鉄に乗ろう」の写真は、筆者がプライベートな旅で撮影したものです。鉄道会社さんから許可をいただいていませんので、乗車券があれば誰でも入れる場所から、手持ちで撮影したスナップ写真です。ポケットに入るコンパクト・デジタルカメラ(SONY DSC-WX500)で撮影しています。
養老鉄道に乗りたかった
というのは、筆者は”おくて”の”乗り鉄”なのです。10年ほど前、急に時間ができて、偶然「青春18きっぷ」の存在を知りました。(それまで、知らなかった!)それから18きっぷでJR全線を乗りまくって、ほぼ完乗しました。(都市部に数カ所未乗の区間が残っています)もちろん「ムーンライトながら」を何度も利用しました。若者ではないので「大垣ダッシュ」には1度で懲りました。とりあえず大垣駅前で一服してから、おもむろに乗り継ぐ方針にしました。
JR大垣養駅前には老鉄道大垣駅があります。
※2015年12月撮影
その時に「いいなぁ、乗りたいな」と何度も思ったのです。
※2015年12月撮影
実際には、2016年7月26日に大垣〜桑名に乗りましたが、生憎の雨。8月6日には大垣〜揖斐間に乗っています。今回は2018年4月8日の日曜日に乗った写真を主に使います。この日も晴天かと思えば、急に小雨がパラつくという奇妙な空模様でした。
あらかじめお断りしておきます。養老鉄道の前面ガラスは色つき。たぶん遮光フィルムが貼ってあったのでしょう。晴天にもかかわらずピントが甘く、全体にボヤ〜ッとした緩い写真になっています。最初はカメラの不調かとも思いましたが、前面展望以外は下手なりにピントもきているので、前面ガラスに貼られた遮光フィルムが原因だと思われます。御容赦ください。
養老鉄道概要と歴史
では乗る前に養老鉄道の基礎知識。桑名〜揖斐間57.5kmに27の駅があります。軌間は狭軌(1067mm)。複線区間はなく全線単線です。直流1500Vで電化されています。
歴史はひじょうに複雑なので簡単に書きます。1913年(大正2年)養老〜大垣〜池野間、1911年(明治44年)設立の養老鉄道(現在の会社とは無関係)によって開業。1919年(大正8年)には、桑名〜養老〜池野〜揖斐間が全通。1922年(大正11年)養老鉄道、揖斐川電気に合併されます。1923年(大正12年)全線が電化。1928年(昭和3年)揖斐川電気の鉄道事業を新たに設立された養老電気鉄道に分割譲渡。1929年(昭和4年)参宮急行電鉄が養老鉄道を合併、1941年(昭和16年)大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併し関西急行鉄道に社名変更。1944年(昭和19年)関西急行鉄道が南海鉄道と合併し近畿日本鉄道に社名変更。
要は戦前に近鉄の路線になったワケです。しかし2007年(平成19年)色々あって近鉄の子会社として設立された現・養老鉄道に運営が引き継がれ、2018年からは近鉄に代わって養老線管理機構が第三種鉄道事業者になりました。養老鉄道は第二種鉄道事業者として引き続き運行を担います。使用する車両は近鉄時代に養老線用に製造されたものです。
2018年4月8日(日)
前夜は最高気温が10度を下回るという寒さ。宿泊した大垣駅前のホテルは「既に冷房システムに切り替えました」ということで、部屋は暖房が無く、寒くて眠れない夜を過ごしました。
大垣駅は頭端式ホームで桑名行・揖斐行はスイッチ・バックします。揖斐方面は室駅、桑名方面は西大垣になります。1番線からは養老・桑名方面、2番線からは揖斐方面が発着します。
まずは揖斐方面に向かいます。2番線ホームからなので、右側を走ります。一見は複線の様ですが、左の桑名方面と右の揖斐方面の単線が並走しているのです。奥に桑名行電車が左側を走ってゆくのが見えます。
東海道本線と車両基地があって広大なJR大垣駅と養老鉄道は離れてゆきます。室駅まで養老鉄道はほぼ真西に向かっています。
そして、じきに左にカーブして南下する桑名方面と西に直進する揖斐方面が分かれます。
大垣駅から1.1km。桑名方面との分岐からすぐに室駅、揖斐方面にしか駅はありません。かなり雨が降ってきました。
単式ホーム1面1線。
駅名標。室駅を過ぎると右にカーブし、北上して揖斐駅に向かいます。
空模様が気になります。次回【私鉄に乗ろう 59】養老鉄道養老線 その2 に続きます。
(写真・記事/住田至朗)