「よいしょっ、よいっしょっ、よいっしょっ」

江戸末期に建てられた内蔵に、レールを敷いて、みんなで引っ張れ―――。

いま、旧日光街道の宿場町 越ヶ谷宿に新たな動き。この宿場町に残る、江戸時代からの建物を再生し、新しいコミュニティの場が次々と出現している。

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そのひとつが、「まちづくり相談処 油長内蔵(あぶらちょううちくら)」。

現場は埼玉県越谷市越ヶ谷3丁目。旧日光街道から少し入った静かな住宅街の中にある。

この区画にあった、江戸時代末期からの油長内蔵が、曳家・改修を経て現代によみがえり、地域住民の寄り合いどころとして再出発した。

蔵を残すという価値に着目

もともと、この区画には、江戸時代から続く商家があり、内藏・米蔵・粕蔵が建っていた。

この土地の一部を買い取った地元企業の中央住宅(ポラスグループ)は、本来はすべて取り壊して、5棟の分譲住宅の建設を計画していた。

「旧日光街道の景観を保全すべく、蔵を残すという価値に着目。1棟分の敷地に蔵を配置し、残りの敷地には蔵の外観と調和し、取り壊したほかの蔵の古材をインテリアなどに活用した4棟の分譲住宅を建築した」

「蔵はただ補修するだけではなく、所有者の事情に左右されないよう、行政へ寄付。街のコミュニティの場として運用させることで、末永く親しまれるような仕組みを提案した」(中央住宅)

この内蔵の活用にあたっては、NPO法人越谷住まい・まちづくりセンターと、越ヶ谷商工会議所、中央住宅(ポラスグループ)が、構成団体となり「油長内蔵運営協議会」を設立。

江戸時代から続く蔵を活かしながら、「新しいコミュニティをどうつくっていくか」という課題に取り組んだひとつの事例。

地元の子どもたちが蔵を曳く

写真は5年前に行われた曳家の光景。蔵を曳いた職方は、地元越谷市に四代にわたって続く野口組。

蔵の下にレールを敷き、地元 越谷小学校の生徒たちの手で、曳家を実施。

子どもたちがよいしょ、よいしょと、蔵を曳き、レールの上をゆっくりと走らせる。

この内蔵の曳家は2段階。いったん西へ、その次に180度、ぐるっと回転させた。

もともと現地調査では、蔵の外壁は黒だった。この黒は、戦時中の空襲を逃れるための策だったということで、本来の白漆喰の壁に戻した。

いま、旧日光街道 越ヶ谷宿には、イベントの度にこうした蔵に集まる人たちでにぎわう。

その誰もが「昔は関心を寄せる人も少なかったこの街道が、蔵や古民家の見学に人が行き来する時代がくるなんて」と口をそろえる。

曳家のレール