さて先週の月曜日に東京からムーンライトながらに乗り、7月26日(火)から始まった青春18きっぷの旅鉄道チャンネル版豚鉄篇もとりあえず東京へ戻る。最終日だ。

7時、樽見鉄道の大垣駅はJR大垣駅の一部にある。元はと言えば大垣〜神海(こうみ)間の旧国鉄特定地方交通線だったのだから当然と言えばそれまでだが。
大垣駅樽見線ホーム

歴史をおさらいしておくと、樽見線は戦前の1935年(昭和10年)に建設が始まり、戦時下で工事が中断、1952年(昭和27年)に工事が再開され1958年(昭和33年)には神海まで開業した。しかし、国の特別天然記念物「根尾谷断層」に当たり迂回などの措置をとったりするなど工事は難航した。

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1980年の国鉄再建法で第一次特定地方交通線として廃止対象になり、神海〜樽見間の工事も凍結された。しかし、工事区間も既に予算ベースで76%が完成していた。そのため第三セクターで路線が存続された後に工事が続行され1989年には樽見までが延伸開業した。

元々沿線人口が希薄で、主に住友大阪セメント岐阜工場のセメント輸送が営業収入の4割という路線だった。しかし2006年にセメントの貨車輸送が終了、54万トンあった貨物輸送が2006年にはゼロになってしまった。当然、台所は苦しい。

同年ショッピングモールへのアクセス駅として「モレラ岐阜」を開業した。他にも多くの旅客用新駅を開業している。

と言ふ理由で、大垣7:13発の樽見行がやってきた。
樽見鉄道色のハイモ295ー510形

樽見鉄道色のハイモ295ー510形。
樽見鉄道色のハイモ295ー510形

大垣駅を出るとしばらく東海道本線と並行する。架線が無いので電車は走れない。
樽見鉄道線

やがて東海道本線と別れると東大垣駅がある。
東大垣駅

列車交換。現役では最古参のハイモ295ー310形、見難いが外装は故池田満寿夫のデザイン。
現役では最古参のハイモ295ー310形

列車は程なく揖斐川橋梁を渡る。321.7mの鉄橋には旧東海道本線であった御殿場線の5つ橋梁が使われている。丹那トンネル完成で御殿場線は東海道本線ではなくなった。戦時中に鉄が必要でレールを剥がされて単線化された。それ以来使われなくなった橋梁をこちらに転用したわけだ。1900年(明治33年)製、明治時代のトラスも使われている。
揖斐川橋梁

横屋駅に古い駅名標があった。
横屋旧タイプ駅名標

北方真桑でも列車交換。7分程停車した。
北方真桑列車交換

すれ違ったのは元三木鉄道ミキ300ー105、ハイモ295ー610形、CCNetの全面広告車両。
元三木鉄道ミキ300ー105、ハイモ295ー610形

2006年にショッピングモールのアクセス駅として新設された「モレラ岐阜」。駅とダイレクトに繋がっていない。周囲は田園。地図を見ると150m程東に巨大なショッピングモールがある。
モレラ岐阜

駅名標の背後方向に巨大なショッピングモールがある筈なのだが視認できない。
モレラ岐阜

可憐な駅名だと思う。駅所在地名とは関係ない様だが。この様な駅名を見ると各駅停車に乗って良かったと思う。
糸貫駅

本巣駅に近づく。この駅には樽見鉄道の車両基地がある。
本巣駅車両基地

ここでも列車交換。最新鋭ハイモ330ー700形。モレラ岐阜のラッピング車両だ。
最新鋭ハイモ330ー700形

本巣駅を出発すると構内に残る古い給水塔が見えた。左の方にセメント工場があるのだが土曜日で操業していないのかな。
構内に残る古い給水塔

2002年に開業した織部駅。「道の駅織部の里もとす」設置をきっかけに設置された。日本初の「道の駅」に併設された鉄道駅。樽見線はここから山間部に入って行く。
織部駅名標

安土桃山の武将で、むしろ利休七哲の一人、茶人として名を残した古田織部がこの辺りを治めていた殿様だった。appleの”think different”を彷彿とさせる「人と違うことをせよ」という利休の教えに従い破調の美を確立し、織部焼の始祖としても名を残した。徳川幕府創建時に古田家は断絶したが古田織部の名が残ったワケだ。

木知原(こちぼら)は駅所在地の地名だ。桜の名所があって春には大勢の観光客が来るという。
木知原駅名標

第一根尾川橋梁を渡る。ここから根尾川に沿っていく。
第一根尾川橋梁

途中から少し錆びている。
第一根尾川橋梁

谷汲口にも古い駅名標があった。列車停止位置から遠かったので、運転士さんに頼んでダッシュして撮影した。こーいう時、デブは辛い。(泣)
谷汲口旧駅名標

国鉄時代の1958年にここまでが開業した。神海駅。交換可能な駅だ。
神海

神海は地名だが神の海とはすごい。国鉄時代の駅名は「美濃神海」だった。
神海駅名標

また根尾川を渡る。川が揖斐川町と本巣市の境界なので駅の所在地が入り乱れる。
根尾川橋梁

しかし、ここ鍋原を境に根尾川が市町村境界ではなくなる。この先は一貫して本巣市内。
鍋原駅名標

根尾川を渡る。ホントに景色が素晴らしい。見とれてしまう。
根尾川橋梁

日当駅は鉄橋とトンネルに挟まれている。平成元年、神海〜樽見間が延伸開業時に作られた。
日当駅

日当、ひなたとはホクホク温もりそうな地名だ。この時は暑かったけれど。
日当駅名標

山の中の高尾駅。中央線の高尾駅(東京)も山に近いが山の中ではない。
高尾駅

水鳥(“みずどり”ではなく”みどり”)駅はホームが110mもある。
水鳥駅長いホーム

大垣を出てから69分。8:22、終点の樽見に着いた。
樽見駅

終端駅だが線路の先は見えない。
樽見駅

望遠で眺めると見えた。
樽見駅

青い空に青い車両。終端駅の駅名標。
樽見駅

最初の駅舎は2007年に全焼したため現在は二代目「うすずみふれあいプラザ」となった。
樽見駅

駅の横に全線開通記念のモニュメント。
樽見駅

銅像は宮脇留之助翁、樽見に生まれ私財を全て投げ出し貧窮に苦しみながらも地元の発展に尽力したと書いてあった。樽見鉄道開通の元もこの人の功績らしい。しかし全通の遥か前、昭和18年に亡くなったとも記されていた。

車両全体も入れて撮影。右端に写っているのが熊本から来て全国の鉄道に乗っている先輩。この後、養老鉄道揖斐まで一緒に往復した。昨日、この後筆者が乗る天竜浜名湖鉄道に乗ってきたそうだ。
樽見駅

樽見8:41発。帰路、日当駅をトンネル側から観る。鉄橋の向こうにまたトンネルが見えているのが分かる。
日当駅

橋梁フェチなので橋の写真を何枚か。
根尾川橋梁

根尾川橋梁

根尾川橋梁

根尾川橋梁

往きにも撮った第一根尾川橋梁の錆びている側。
第一根尾川橋梁

こうして根尾川に沿って走る。本当に風景が良い。この路線の車窓もお奨めだ。
根尾川沿い車窓

本巣で往きとは逆位置で列車交換。
本巣列車交換

本巣駅に予備車となっているハイモ230ー310形が留置されていた。
ハイモ230ー310形

北方真桑でまた 現役最古参のハイモ295ー310形と交換、ディテイルが分かる。実はこの時デジカメのバッテリーが突然ダウン。新品なのにおかしい、同じバッテリーを使う機種を3台持っているのでバッテリーが予備を含めて4つあるが、この新品だけ突然死する。それでハイモ295ー310形の全体を撮り損ねた。
現役最古参ハイモ295ー310形

9:46大垣に到着。先週の火曜日(7/26)に大垣から桑名まで乗った養老鉄道の北側、揖斐まで乗る。

養老鉄道のホームで待っていると10:10発の揖斐行が入線してきた。元は近鉄の1800系を改造・改番した車両。何しろ近鉄は標準軌(1435mm)だが養老鉄道は狭軌(1067mm)なのだ。ところで、この養老鉄道の車両形式番号が分かり難くて、正直言ってヨク分からない。すみません。勉強します。
養老鉄道

養老鉄道の大垣駅はスイッチ・バック。駅を出ると桑名方面は左に、揖斐方面は右に別れる。
養老鉄道

東赤坂駅で列車交換。東海道本線美濃赤坂支線の美濃赤坂駅の東にあるから東赤坂。
東赤坂駅列車交換

ここでは神戸は「ごうど」と読まれる。伊賀鉄道の伊賀神戸は”いがかんべ”と読む。もちろん”こうべ”が最も人口に膾炙している。
広神戸駅名標

10:34 大垣から24分で揖斐に到着。かつては島式ホームだったのだろう。線路が左に分岐しているが現在は使われていない。
揖斐駅

揖斐駅舎。何と「ローカル線を廻るツアー」という団体と一緒になった。昨日は飯田線に乗ったそうだ。凄まじい暑さに皆さん暑い暑いと合唱。そう言えば昨年飯田線でも同種のツアーと一緒になった。
揖斐駅舎

終端駅だ。
揖斐駅名標

揖斐駅

10:50 揖斐を出て 11:15大垣着。この方も「ローカル線ツアー」の参加者。杖をつきながら前面展望を熱心に撮っておられた。
養老鉄道大垣駅名標

ホームに近鉄「ラビットカー」時代のオレンジ色の編成が停まっていた。ツアーの団体さんと地元客でホームが混雑していた。
養老鉄道ラビットカー塗色

大垣から青春18きっぷ、11:26発のJR東海道本線豊橋行に乗った。6時半にホテルの無料朝食を食べたがお昼なので、11:58、名古屋で下車、ホームのきしめんを食べる。
名古屋駅ホームきしめん

天玉きしめん570円。
天玉きしめん

12:17の次の新快速豊橋行で13:08に豊橋、乗り継いで新所原13:32到着。駅は工事中。左の二階建てが天竜浜名湖鉄道の新所原駅。
新所原駅

天竜浜名湖鉄道の駅には美味しそうな鰻屋が入っている。残念ながら名古屋で中食は済ませている。掛川行は14:21発だがエアコンで冷えた場所が無い。駅前には喫茶店も無い。
新所原駅

14:10頃、掛川行が到着。天竜浜名湖鉄道TH2100形だ。
天竜浜名湖鉄道TH2100形

天竜浜名湖線は旧国鉄時代の二俣線の廃止を第三セクターの天竜浜名湖鉄道が引き継いだものである。元々は軍事的な理由で海岸線を走る東海道本線が敵襲された場合の迂回路として建設された。1940年(昭和15年)に全通した。

天竜浜名湖鉄道になってからの新設駅も多い。

また、二俣線以来の鉄道施設がたくさんあって国の登録有形文化財となっている。

ようやく新所原を出発。1つ目の「アスモ前」は1987年新設の駅。アスモ(株)は自動車部品メーカーらしい。
アスモ前駅

駅名標。大森駅が2009年に開業したためにこの様に修正されている。
アスモ前駅名標

大森駅、流石に新しい。
大森駅

三ヶ日駅。駅舎が登録有形文化財。列車交換。
三ヶ日列車交換

車窓に浜名湖最北部が広がる。さらにこの北に余呉湖がある。
浜名湖北部

浜名湖佐久米駅は浜名湖北端の波打ち際。
浜名湖佐久米駅

西気賀駅、待合室と駅舎が登録有形文化財。
西気賀駅

気賀駅も駅上屋とプラットホーム(写っていないが駅舎)が登録有形文化財。
気賀駅

金指駅も駅上屋とプラットホーム、駅舎が登録有形文化財。
金指駅

金指の駅名標。隣の常葉大学前、元は「浜松大学前」として三セク化された1988年に開業したが2013年に浜松大学が常葉大学に名称変更したために駅名も変更された・
金指駅名標

フルーツパーク駅と宮口駅の間、殆ど人家の無い場所に木々に埋もれた謎の階段。怪談?
謎の階段 怪談

宮口駅、プラットホームと駅舎が登録有形文化財。
宮口駅

岩水寺駅。ここもプラットホームと待合所が登録有形文化財。
岩水寺駅

西鹿島駅で遠州鉄道と乗換が可能。
西鹿島駅

天竜川橋梁を渡る。空模様が怪しい。
天竜川橋梁

天竜二俣駅に到着。いきなり国鉄時代のキハ20が現れた。ここに天竜浜名湖鉄道の本社と車両基地がある。
天竜二俣駅

2つの島式ホームと上屋、駅舎が登録有形文化財。ここで列車交換、約7分停車。
天竜二俣駅

駅から出て駅舎正面を撮る。
天竜二俣駅

駅を出発するとTH3000形と転車台の一部、扇型車庫も見えた。ここは有料で見学が可能。ちょっと心残りだったが帰宅が夜中になってしまうので諦めた。天竜浜名湖線は本数が少ないのである。
天竜二俣駅

遠江一宮駅。駅舎が登録有形文化財。
遠江一宮駅

遠江一宮駅

遠州森駅、上りホームと駅舎(左側)が登録有形文化財。
遠州森駅

ここでも列車交換があったので駅舎を正面から写した。
遠州森駅

原谷駅、駅舎が登録有形文化財だがこの角度からは古い住宅にも見える。
原谷駅

桜木駅、駅舎が登録有形文化財。一瞬”座敷童”がいると思った。(笑)
桜木駅 座敷童

16:30 掛川に到着。右はJR、新幹線も見えている。
掛川駅

ここからは東海道本線。

16:35掛川発の熱海行に間に合った。人が多いと思ったら花火大会の臨時列車が運行される様だ。

掛川から熱海の間、数カ所、海の方に花火が見えた。

18:43 熱海着。

19:27発東海道本線小金井行に乗って20:31戸塚。20:37発の湘南新宿ライン宇都宮行に乗換。21:23、新宿着。中央線に乗って武蔵小金井21:50に帰着。

今日も良く乗りました。実乗車時間合計は674分、つまり11時間14分列車に揺られていたワケです。そのうち運転席後ろでの踏ん張り撮影は4時間23分。

12日間に渡る「青春18きっぷの旅(鉄道チャンネル版 豚鉄篇)」にお付き合いいただきありがとうございました。次回は8月後半に北海道を予定しております。宜しくお願いいたします。

豚・軽薄、じゃなくて、敬白。