※【非電化路線に乗ろう】の写真は、筆者がプライベートで旅した際にポケットのコンパクトデジカメ(SONY DSC-WX800)で撮ったものです。鉄道会社さんから許可をいただいたワケではないので、乗車券などがあれば誰でも入れる場所から手持ちで撮影したスナップ写真です。トップ画像は2019年1月6日撮影。特に記載の無い写真は2019年4月1日(月)の撮影です。

【私鉄に乗ろう】の姉妹編です。筆者は非電化路線が大好き。理由は架線が無いので、空が広いことに尽きます。

大阪生まれ東京育ちなので子供の頃から気動車(ディーゼルカー)にほとんど乗った経験がありませんでした。それで、鉄道旅を楽しむ中で非電化路線、多くは特定地方交通線的なローカル線が好きになったということです。鉄道模型Nゲージでも、架線の無いと電車にはリアリティーがないので、数少ないコレクションも気動車です。

全国の鉄道、電化率は67.4%、東京都・神奈川県・奈良県・大阪府は100%です。沖縄県も鉄道は、ゆいレール(沖縄都市モノレール)だけなので100%。逆に徳島県は0%。高知県は、とさでん路面電車が電化されているので8.2%、四国全体では33.0%。北海道も21.9%にとどまっています。

鉄道本来の高効率大量輸送というコンセプトからすれば、電化が常道と思われますが、戦前の日本は軍部が「発電設備を攻撃されたら鉄道がストップしてしまう」という理由で強硬に電化に反対しました。昭和20年の敗戦まで軍部絶対の時代に日本の鉄道網はほぼ完成されていますから、電化率が低いのも仕方が無いのです。

東海道本線が電化されたのだって、筆者の生まれた1956年(昭和31年)なんですから「推して知るべし」です。(押しちゃダメですよ!)

そんなワケで大好きな非電化路線に乗る鉄道旅を記そうと思います。廃線になってしまった江差線(木古内〜江差間)や、留萌本線(留萌〜増毛間)、2015年1月以降鵡川〜様似間が不通になっている日高本線などの写真もありますが【私鉄に乗ろう】の様に全駅の前面展望を撮っていないので、どの様に扱うか悩んでいます。しかし、これらの路線にはもう一度撮りに行くことが不可能です。

第1回は、大船渡線にしました。既に【鉄旅番外篇 1】大船渡線 盛~気仙沼間に乗るでBRTをレポートしています。【鉄旅番外篇 2】 大船渡線 気仙沼~一ノ関間に乗るでは、気仙沼〜一ノ関の鉄道もレポートしていますが簡略なので、今回は逆方向、一ノ関から気仙沼間を丁寧に書きます。

一ノ関〜盛間が、1934年(昭和9年)一ノ関〜気仙沼間が軽便鉄道法で開業しました。以下は【鉄旅番外篇 2】に記したものです。

岩手県出身の総理大臣原敬の率いる立憲政友会の圧力「我田引鉄」によって陸中門崎と千厩の間を直進せずにその3倍以上の距離を使って迂回し千厩に達する「鍋鉉(なべづる)」線、と陰口をたたかれてきた大船渡線だが、敷設された大正末年とは大きく時代が変わり、今や貨物も人の移動も鉄道に重きを置かない様になってしまった。

JR東日本さんの路線図を見ると一目瞭然です。この線形を龍に見立てて「ドラゴンレール大船渡線」という愛称が付けられています。

※無断借用の上に大船渡線以外を薄く加工しました。すみません。

最近は、この様な「大回り」をしない路線バスに乗客が移ってしまっている様です。

ともあれ、今回は一ノ関〜気仙沼間62.0kmを2019年4月1日(月)に81分かけて乗車した記録です。カメラが新しくSONYのDSC-WX500からDSC-WX800に替わっています。ほとんど性能的な差異はありませんが、長年苦しんだ逆光にや斜光によるレンズ内のノイズ発生が目立たなくなった点が朗報です。

一ノ関駅の正面。1890年(明治23年)私鉄日本鉄道の駅として開業しました。開業の年にホーム駅そばを経営する「あべちう」の構内営業が許可されています。

駅名標。1906年(明治39年)国有化され、1909年(明治42年)線路名称が東北本線になって東北本線所属駅になりました。1982年(昭和57年)東北新幹線が開業。在来線は改札口のある単式ホーム1番線が東北本線の下り、島式ホーム2番線が東北本線上り、3番線が大船渡線です。

大船渡線のキハ100系には「ドラゴンレール大船渡線」のステッカー。

キハ100-41の前部、右の全面窓から前面展望を撮ります。撮影がとてもし易い!

ちなみに、これは2013年(平成25年)のダイヤ改正で廃止された快速「スーパードラゴン」

※2009年9月撮影

16:17発気仙沼行が出発しました。一ノ関のホームは斯様に長いのです。

では、【非電化路線に乗ろう01】大船渡線その2 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)