読鉄全書 池内紀・松本典久 編 東京書籍【鉄の本棚 23】その4
次は小林秀雄さんの「酔漢」1950年。※以下敬称略
小林秀雄と言えば昭和を代表する評論家ですが、最近は読まれているのでしょうか?
小林秀雄は1983年(昭和58年)に亡くなって、現代かな遣いの全集が出ました。書架にありましたが、ほとんど読まなかったなぁ。遺著『本居宣長』を読んで、なんだかスゴクつまらないと感じたのです。学者ではない・文人の剪枝畸人上田秋成を私が好むという理由もありますが。
「酔漢」は、1950年(昭和25年)に中学校以来の友人(一級上)河上徹太郎と河上の郷里岩国を訪れた時の文章です。河上が屈託から東海道本線車中で飲み過ぎ小林に絡む話で始まります。ちなみに河上徹太郎は吉田健一が英国から帰国後に師事した人です。
酔漢の河上徹太郎は小林秀雄に「モーツァルトの魔笛はいいぞぉ」と繰り返します。旅の前に、デンマークの哲学者キェルケゴール(日本にはドイツ経由なのでキルケゴールが一般的)の『ドン・ジョバンニ論』を読んで感心した河上に乞われて小林が”魔笛”のレコードを貸したのでした。
立派な文士が東海道本線の夜行列車で酔っぱらって正体を失うなんて、昨今ではまず眼にしない光景です。というか昭和が終わった時に文士という種族もいなくなってしまった様な気がします。個人的には1960年代までの些か粘り気の強い感性と結びついていた様に感じます。70年代以降のスッキリと軽薄で、丁寧だけれどうすっぺらな作家の方々とは一線を画す放蕩三昧とでも言いますか・・・。(笑)
酔漢河上の繰り言に辟易した小林は、これはモーツァルトという奇跡が河上の理性を揺さぶった結果なのだ、と半ば諦観から結論するのですが・・・。
翌日のケロッとした河上が可笑しい。だいたいヨッパライなんてのは知性に関係なくこんなもんなのです。
(写真・記事/住田至朗)