読鉄全書 池内紀・松本典久 編 東京書籍【鉄の本棚 23】その3

2019.06.09

関川夏央さんに続いては吉田健一さんの「汽車旅の酒」。

『汽車旅の酒』(中公文庫刊)という吉田健一さん著作から文章が2つ選ばれています。

1つ目が「酒を道連れに旅した話」

そもそも素面の吉田健一さんというのが想像し難い。(笑)

翻訳を別にすれば吉田健一さんの小説やエッセイなどで酒の出てこない話を探す方がタイヘンかもしれません。この点は百閒先生と似ています。

1951年(昭和26年)、ヴァレリーに関する原稿1320枚を書き終えた吉田健一さんは、意気揚々と念願の京都へ一人夜行銀河で向かいます。その中身は、

汽車がごとごと、ビールがぶがぶ。汽車が駅に止る。ボーイさん、すまないけれど又ビールを買って来て下さい。ーーどうも有難う。いや取って置いて下さい。発車のベル。汽車がごとごと、ビールがぶがぶ。本書 p.65

もちろん吉田健一以外にはぜったいに書くことのできない不思議なリズムというか「息継ぎ」の文章で「飲む」以外の世界が新鮮に写し取られています。吉田さんの魅力は外界に対する極めて独特の感受性と、不思議な日本語の表現力です。それでポール・ヴァレリーと来れば明晰で混沌。摩訶不思議なブンガク世界です。(笑)

戦後の宰相吉田茂の長男だった吉田健一さんは、戦前外交官だった父親に付いて7歳でパリ、8歳からはロンドンで小学校に通っています。ケンブリッジ大学キングスカレッジに入学し英文学を濫読。中退して帰国後は河上徹太郎氏に師事。アテネフランセでフランス語、ギリシャ語、ラテン語を修得します。主にフランス文学の翻訳をしました。戦後は疎開先の福島から鎌倉に転居。母方の祖父である牧野伸顕『回顧録』を中村光夫氏と出版。大学の教師などと並行して英文学、仏文学に関する著述、また小説・エッセイも多く残しています。

2つ目は「或る田舎町の魅力」

JR八高線の児玉にある高等学校に講演に行った吉田さんが、この「特に名所旧跡があるわけでもない」町を気に入って、その結果、八高線でユックリ飲みながら児玉に着いて、旅館に泊まって一人でノンビリと酒を飲むというだけの話です。

真夏の児玉に行ったことがあります。もう、何もかもが溶けてしまいそうなくらいに暑かった!

荷風が江戸を郷愁した様に、百閒先生と吉田健一さんは戦前の昭和を郷愁しています。鉄道がまだ蒸気機関車でノンビリと夜汽車だった時代。インター・ネットの時代に比べ、いやいや、スマホ、携帯電話以前の時代は、情報量が恐ろしく「粗」なのですが、その分、情緒が細やかで、時間がしっとりと滑らかに流れていました。私たちは、その様な時間の流れ方や、夕暮れの濃密な空気の濃さを失ってしまいました。

(写真・記事/住田至朗)

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