読鉄全書 池内紀・松本典久 編 東京書籍【鉄の本棚 23】その9

2019.06.15

ここから 第2部 鉄道に生きる です。

冒頭に「急行列車」という室生犀星の詩が置かれています。第1部は谷川俊太郎さんの詩「過ぎゆくもの SL挽歌」でした。

第2部最初は、上田廣(1905-1966)さんの「指導物語 或る国鉄機関士の述懐」(1940年)。

上田さんは、鉄道省教習所出身で鉄道省勤務後は小説家として活動されたとのこと。『日本国有鉄道百年史』の編纂にも携わられました。名前も作品も寡聞にして存じあげませんでした。

1940年(昭和15年)という日中戦争の最中、太平洋戦争直前というタイミングで上田さんが陸軍鉄道連隊の若い兵士を機関士に教育するという内容です。現在は、陸軍鉄道連隊も機関士研修もありません。SLの復古運転で少数の機関士は存在しますが。

上田さんの教えた「佐川二等兵」は小学生の時に父を病気で失い、母の内職で育てられ、小学校卒業後は工場で働いていたという若者。

通常は4〜5年かかる蒸気機関車の運転をわずか三ヶ月で無理矢理教え込むのだからタイヘンです。しかも陸軍鉄道連隊は前線にあって危険な任務が多いというのです。責任感が強く真面目な著者は必死で佐川二等兵を指導します。必死過ぎて周囲とも摩擦を起こすほど。

いつしか娘しかいない筆者は、父親のいない佐川二等兵に対して息子に対する様な愛情を感じて接しています。その佐川二等兵が急な呼び出しで帰隊、戦地に向かうことになりました。

筆者は仕事も手に付かない程に慌ててしまいます。戦地へ出発する直前に挨拶に来た佐川二等兵を無理矢理に自宅に泊め機関車の話を深夜まで続ける二人。戦地への出発を見送る姿など、今の日本人には感じるコトのない軍隊・戦争という抗えない現実が重くのしかかっていることが分かります。

読み終えた後、筆者の上田氏が戦後も活躍されたことは知りましたが、佐川二等兵が陸軍鉄道連隊でどの様な戦火をくぐり、戦後を迎えることができたのか、とても気になります。

さて次は、初代「鉄道ジャーナル」「旅と鉄道」誌編集長竹島紀元氏による「特急さくら西へ!」(1967年)

文字通り「特急さくら」の運転室に同乗してのレポ。しかし「特急さくら」?

この文章で書かれた「特急さくら」は、1959年(昭和34年)から2005年(平成17年)まで国鉄およびJRが東京駅〜長崎駅間で運行していた寝台特急。特に文章の時代(1965〜1999)は佐世保駅発着の編成を併結していました。筆者の竹島さんは佐世保まで同乗します。約1,300kmで50本の列車を追い越し、300本の列車とすれ違います。

東海道本線下り第一列車「特急さくら」東京駅17時発は、EF65-505に牽かれて東京駅に、長崎側に電気機関車を付け替えて14番ホームに入線16:24、15両編成でした。

出発までの36分間に運転装置のチェック。「特急さくら」の最高速は90km/hです。

定刻17時に東京駅を離れ、通勤・通学電車で混み合う東海道本線を進みます。

保土ケ谷〜戸塚間では九つの閉塞区間があり、また大船駅下り線の場合、場内三・制限二・予告一、通過一・定時一・後部一・閉塞(第五)一、合わせて10回の喚呼応答が行われる。本書 p.189

静岡到着19時31分、乗務員交替。静岡〜名古屋間185.8kmを「特急さくら」は無停車。

夜が明けて広島で乗務員交替。8:28定刻下関到着。

EF65-505から交直両用EF30-17に電気機関車が交替。関門トンネル内を制限時速の85km/hで進行。トンネルを出て門司駅で交流に切替えたEF30はお役御免。改めて交流電気機関車ED73に付け替えられた「特急さくら」は福岡駅を過ぎて鳥栖駅に到着。

鳥栖駅でディーゼル機関車DD51-572に三度付け替えます。1967年(昭和42年)鳥栖の機関区には、C60、C57、D51、そして9600形の蒸気機関車がゾロッといました。

蒸気機関車の機関士・助士の労苦に比べてディーゼル機関車の安楽さを筆者はレポートで強調しています。50年前の文章なのです。

肥前山口駅で「長崎行」と「佐世保行」が分割されます。長崎行8両編成はそのまま長崎本線をDD51に牽かれて11:14に出発してゆきました。筆者の乗る佐世保行は佐世保線を行きます。先頭にDD51-53が連結されて佐世保に向かいます。

早岐駅でさらに大村線が長崎方面に分岐します。佐世保方面は早岐で進行方向が反対になります。何と早岐から佐世保までの8.9kmは、後部に連結されたC11-370蒸気機関車が牽引するのです。

12:29定刻、「特急さくら」は佐世保に到着。東京から19時間29分の旅でした。

ブルートレインは人気がありましたが、東海道・山陽新幹線、格安ビジネスホテル、東京・長崎間の航空機運賃が相対的に安くなったことなどで利用者減少に歯止めがかからず、車両の老朽化もあって「特急さくら」は、2005年に廃止されました。

紀行文を読んでいて、蒸気機関車の姿などが出てくる程度で、50年の歳月を感じさせる部分が、むしろ極めて少ないのに驚きました。

最も大きな違いは国鉄がJRになったことと、長距離を走る夜行列車がほとんど無くなってしまったことでしょうか。

(写真・記事/住田至朗)


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