読鉄全書 池内紀・松本典久 編 東京書籍【鉄の本棚 23】その14

2019.06.20

政治学者・歴史学者の原武史先生の登場です。講談社現代新書『鉄道ひとつばなし』シリーズや『「鉄学」概論』(新潮文庫)『思索の源泉としての鉄道』(講談社現代新書)『沿線風景』(講談社文庫)『鉄道旅へ行ってきます』(関川夏央・酒井順子との共著/講談社)など鉄道関連書籍で鉄道ファンにはお馴染みでしょう。そして原先生は駅そばファンです。

この本に収められた「狙われる列車」は『鉄道ひとつばなし2』に、「絶たれた鉄路」は『思索の源泉としての鉄道』からの文章です。

「狙われる列車」とは北朝鮮の金正日総書記が海外を訪問する際に使った鉄道列車の話、そして原先生の専門、天皇のお召し列車について。

題名のまま、現在の三代目金正恩の父親、故金正日総書記はロシアや中国を訪問する際に「一号列車」という専用の鉄道車両を使っていました。三代目正恩氏は航空機も利用される様です。

一方で東アジア反日武装戦線による天皇お召し列車爆破未遂事件、こちらは未然に防がれた結果、用意された爆発物は1974年(昭和49年)の三菱重工ビル爆破事件で使われました。

昭和天皇から平成天皇に替わって、お召し列車は使われなくなりました。平成天皇は一般の列車のグリーンに乗ることにしたのです。ニュース映像などで天皇と皇后が新幹線に乗るシーンを何度も眼にしました。

続いて「絶たれた鉄路」。

原先生は1982年(昭和57年)大学生の時、首都圏で最後まで古い客車の普通列車が残っていた常磐線に乗りました。しかし、同年東北新幹線開業に夜ダイヤ改正で客車列車はひっそりと消えてゆきました。

文章の書かれた2012年、常磐線は広野〜原ノ町、相馬〜亘理間が不通でした。この区間を同行の編集者がレンタカーを借りてカバーする行程をたて、二人は上野からいわきに向かいます。日立の駅そばが無くなったことに気が付きました。いわき駅で編集者は下車、レンタカーをピックアップします。原先生はそのまま常磐線で広野行に乗り換えます。いわき駅からも駅そばスタンドが姿を消していました。

広野駅から先は不通区間。編集者の運転するレンタカーに乗り換えて原ノ町駅まで2時間40分かかりました。途中、持参した線量計の値をメモしてゆきます。原ノ町駅からは相馬行に乗ります。原さんが常磐線で随一という駅そばは営業が昼間の短い時間に限られていて食べられず残念。

相馬駅からは亘理行代行バスに乗り換えました。常磐線の列車の運行よりも1時間余計に時間がかかって亘理駅に到着。仙台行に乗ってこの夜は仙台に泊まりです。

翌日、編集者はレンタカーで亘理駅に向かい、原さんは鉄道で亘理駅に向かいます。仙台駅でも駅そばがラーメンと焼きそばしか商っていないことに駅そばファンの先生は違和感を覚えます。

亘理駅で編集者と合流、レンタカーで昨日の代行バスが通らなかった山下、坂本、新地の各駅を巡ります。

山元町に対して、国道よりも東側を通るルートの方が早く整備できると打診したのは、JR東日本だったという(『河北新報』2012年2月1日)。なぜJR東日本は、もっと早く、現行ルートでの復旧を含めた代替案を積極的に提示しなかったのか。その模様眺めの姿勢のなかに、復旧が遅れていることに対する責任の認識は、みじんも感じられないのである。本書 p.272

現在は、富岡駅と浪江駅の区間を除いて旧に復しています。この区間も2020年3月末までに運転再開の予定です。

常磐線は常に東北本線を補完する形で、下位に置かれてきた、と原武史さんは指摘しています。

私も東日本大震災以前に仙台からいわきまで乗ったことがあります。海が見える様な場所は記憶にありませんが、新地駅など震災後に原型を留めていない姿にショックを受けました。

(写真・記事/住田至朗)


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