神サマがいっぱい【駅ぶら03】京浜急行10

2020.04.11

鮫洲駅の「写真・タイプ屋」さんの横に路地があって、覗いたら神社が見えました。

鮫洲八幡神社です。この辺りは古くからの漁師町で御林という地域でした。江戸幕府直轄地の林を開発したことで御林と呼ばれた様です。

御林は将軍家に鮮魚を納める「御菜肴八ヶ浦」の一つとして品川浦とならんで発展していました。戦後、急速に海岸が埋め立てが進みました。昭和37年(1962年)の漁業補償協定をもってこのエリアの江戸前漁業は終焉を迎えました。その旧御林町の総鎮守がこの神社。鮫洲という地名になった理由は

・砂水(サミズ)と海岸の干潟に清水が湧いたから

・海上に浮かんでいた大鮫の腹から木造の観音像が出てきて人々に恩恵を与えたことで門前を鮫洲と呼んだなどから

など、諸説があることが境内の看板に書かれていました。しかし現在、鮫洲という地名は存在しません。

実は、最初に眼に入ったのはこの「百度石」でした。元来は神社などに「百日間毎日参拝すること」が始まりです。1日に百度参ることで「その代わり」にしたのが「お百度参り」です。吾妻鏡などにも出てくることで鎌倉時代初期には既にあった習俗です。回数を間違えない様に百度石にソロバン状のものが付いていることもあります。この神社では、例えば海難に遭った漁師の無事を家族が祈ったのでしょうか。

お狐様、稲荷神社です。ここは出世に御利益があるらしく「出世稲荷」という額がかかっていました。筆者は出世とは無縁なので会釈だけで失礼しました。

富士山信仰「冨士浅間大神塚」と横には「三拾三度登山大願成就」の石碑。富士講があったのでしょう。時代は明治以前かな。裏にまわって日付を見てくればよかったですね。奥の上方に京急線の高架と鮫洲駅が見えます。しかし意外に電車の音は聞こえません。静かでした。

大きな正方形の弁天池があって中央には「鮫祠」が置かれています。正方形に張り巡らされたヒモは何なのでしょう?

向かって左に厳島神社と池の中央の鮫祠の社があります。いわゆる弁天様(市杵島姫命)ですね。

右には漁呉玉神社(なごたまじんじゃ)があります。通称は水神社。綿津見神を祀っているのです。

鮫洲八幡神社の東側には旧東海道が通っています。北品川から青物横丁にかけてはかなり整備されていましたが、この辺りはまだまだこれからの様です。一方通行は同じですね。

かなり古そうな木造の建物があります。元は店舗だった様ですが、現在は営業していません。隣のトンカツ屋さん、ちょっと気になりましたが「準備中」。残念。

初めて鮫洲を歩きましたが、想像とは違っていました。至って静かな古い空気の漂うエリアでした。個人的に好きな雰囲気です。

【駅ぶら03】京浜急行11 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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