子安駅のバリアフリー化で後から加えられたエレベーター付き跨線橋に上ると駅のすぐ横で横浜線が東海道本線、横須賀線、京浜東北線を越えています。すみません、ガラスに反射が映り込んでしまいましたが手持ちなので一人では反射をカットできません。

横浜線の電車をしばらく待ってみましたが東海道線の列車が通ったところで諦めました。昼過ぎなので運転本数が少ないのかな。

改めて2020年2月7日に子安駅を再訪した際に、同じ場所でねばって横浜線の列車を撮りました。ソレなりにスピードが出ているので車両の前面は少しブレています。

跨線橋から品川方面は順光なので撮影できました。駅が不思議な場所にあることが分かります。駅舎がJR線と京急線の間にあるのです。京急線の踏切を渡るか、地下道でJR線をくぐらないと駅からは何処にも行けないのです。

地上階の改札口。バリアフリー化以前の通路はホーム同士を地下道で結んでいます。そー言えば数年前のエイプリルフールに「鉄道チャンネルは地下道チャンネルに換わります」というウソ記事を書いたなぁ。(笑)

改札の外。トイレの案内が両側にあるのは、左側はバリアフリーの多機能トイレなのです。

駅出入口、右上に横浜線の高架、右横は東海道本線、京浜東北線、横浜線です。

駅出入口の正面にはお蕎麦屋さん、右の店舗は空き家かな。間の小径を行くと数百メートル住宅などが続いて行き止まりになります。

踏切からホーム、奥は浦賀方面になります。バリアフリー化のために作られた跨線橋とエレベーターが見えます。

こちらは品川方面。

第一京浜の駅入口、信号機の表示は旧駅名「京浜子安駅入口」になっています。

ここからは、子安駅を再訪した2020年2月7日(金)の撮影です。

改めて駅前に戻り地下道でJR線の反対側(北側)に出ます。

地下道を出ると正面に浄土宗のお寺、吉祥山相應寺があります。

山門が立派です。門前に子安、厄除、子育地蔵尊が置かれています。

新編武蔵国風土記稿によれば寛文3年(1663年)に置かれたとあります。子安の地名は子育て地蔵から付いたと言われています。

横に六地蔵が置かれています。六道輪廻思想(生命は6つの世界、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道を生まれ変わりを反復するという思想)に基づき、六道各々を6種の地蔵が救うというものです。

余談ですが、三島由紀夫の遺作『豊饒の海』の最終巻『天人五衰』(1970年)は三島が市ヶ谷で自裁する日の朝に最終稿を入稿したという作品ですが、この『天人五衰』とは六道の天道で天人が死ぬ時の5変化を表す言葉です。三島由紀夫16歳の作品『花ざかりの森』(1941年)の終わり方と『天人五衰』の最終部分の共通性が指摘されるなど謎の多いミシマという作家の残した精緻な迷路を楽しむことができます。両方とも個人的には大好きな作品で何度も読み返しています。

六地蔵の横には地神塔がありました。年代は不詳ですが、神奈川県下に多く見られます。太古から続く大地の神への素朴な信仰から生まれたと言われています。

相應寺本堂。文明年間(1469-1487年)の開山と伝わります。明治元年神奈川宿の大火で焼失。再建されましたが関東大震災で倒壊。その後再建されています。

鐘楼。美しい佇まいです。梵鐘は天明3年(1783年)に再鋳されました。天明3年と言えば浅間山が大噴火した年。死者2万人、大飢饉が深刻化した年でした。

珍しい猿の地蔵様がありました。

相應寺を出て大口1番街に行ってみました。

正面で国道1号線に突き当たります。その先は大口通り商店街になります。

平日の午後だったと言うコトもあって人通りはほとんどありませんでした。

良い匂いが漂ってきました。店頭で焼き鳥を焼いています。大きな鍋の「牛豚もつ煮込」量り売りがよいですね。鍋を持って買いに行きたくなります。昔はお豆腐は鍋を持って買いに行ったモンなのです。

このカメラ屋さんがスゴイ!古い銀塩カメラが数え切れないほど置かれていました。しかも安い! 骨董品の様なカメラが趣味の方には超魅力的です。

地下道、駅に戻りますが、大口1番街と反対方向はお酒を飲ませるお店が並んでいました。

子安駅の周辺、なかなか風情があってよかったです。こういう町の【駅ぶら】は楽しいですよ。

【駅ぶら03】京浜急行40 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)